アガペの像について
「アガペの像について」
今年の八月に東京駅前の「アガペの像」の実物をはじめて見ました。私が感慨無量で像を見ていると、通りがかる人々がそんなにすごいものなのかと驚いて見ていたと、一緒にいた妻が後で話していました。アガペの像には説明の看板も碑文も一切ついていないので、あらかじめ知っていなければこの像が何を意味するのかわかりません。おそらく今日では東京駅を通るほとんどの人は知らないのかもしれません。以下、いくつかの資料をもとに、アガペの像について書きたいと思います。
アガペの像は、先の大戦で戦犯として処刑された方たちの遺書集『世紀の遺書』の出版印税から費用を捻出し1955年(昭和三十年)に建立されました。その後、幾度か東京駅の改修に伴い、一時的に撤去されることがあり、2007年からも十年間撤去され、2017年に現在の位置に再び設置されました。像の台座の部分に『世紀の遺書』の本が納められているとのことです。
敗戦後、先の大戦における罪を問われて一千人を越える人々がBC級戦犯として死刑、あるいは死刑執行前の服役中に命を落としました。中には無実の人々もいたといいます。また朝鮮半島や台湾出身の人々の中にもBC級戦犯として死刑になった人々がいます。それらの人々の遺書を集めたものが『世紀の遺書』であり、その追悼としてアガペの像は建立されました。
『世紀の遺書』を読むと、戦争の罪を深く悔い、一国中心主義の非を反省し、人類愛や世界の平和を祈る言葉が多く含まれていることに驚きます。それらの人々の中には、クリスチャンもいれば、仏教徒も多くいます。出版や像の建立に携わった人々も、クリスチャンもいれば、仏教徒もいました。
台座の部分に記された「愛」の漢字の部分は巣鴨プリズンで教誨師を務めた真言宗僧侶の田嶋隆純が、ギリシア語の「αγάπη」(アガペー)の部分は中村勝五郎の母サトの手を画家の東山魁夷がとって記した文字とのことです。中村勝五郎は味噌の事業で財を成した人物で、私財をなげうって戦犯とされた人々やその家族のために奔走した人物です。中村は芸術家の支援もしており、敗戦後しばらくは中村の邸宅に東山が仮住まいをしていたそうで、その縁で東山が『世紀の遺書』の外箱のデザインをしたり、アガペの像にも関わったとのことです。
アガペの像の彫刻部分は、広島の平和記念公園の中の「祈りの像」などを制作した彫刻家の横江嘉純が手がけています。なぜアガペの像と呼ばれるのかについては、同じくこの像の建立に関わった元早稲田大学総長の村井資長が、この像の精神は「アガペ」だと述べ、アガペの像と名づけたとのことです。村井はプロテスタントだったとのことです。
中村らは仏教徒でしたが、村井の発案に賛同し、この像を「アガペの像」と名付け、台座に漢字とギリシャ文字で愛と記したことに深く胸を打たれます。そこには、宗教の違いを超えた本当の愛と祈りがあったと思われます。
その愛と祈りは、敗戦における痛切な体験から生まれたものだったと思われます。しかし、今日、敗戦後七十年以上が経ち、戦争の記憶が薄れるとともに、そのような愛と祈りも風化しつつあるのかもしれません。
アガペの像の建立および『世紀の遺書』の出版の中心となった人物の一人に、冬至堅太郎という方がいました。冬至は福岡出身です。冬至は、自分自身もBC級戦犯として絞首刑が言い渡されていたものの、のちに減刑されて命が助かりました。冬至は、福岡大空襲で母親を失い、火葬の準備をしているところ、たまたまB29の乗組員がこれから処刑される現場に通りがかり、執行役を自ら志願して、四人の捕虜の米兵を軍刀で殺害したそうです。その罪で死刑が言い渡された後、巣鴨プリズンの中で生と死の意味を見つめ、歎異鈔などを深く読み、膨大な思索をノートに綴りました。その三千頁を越える手記が昨年発見され、今年の七月にその抜粋が出版されています。
昨年7月31日に放映されたNHKのニュース番組「ロクいち!福岡」は冬至について取り上げ、その中で手記の中の以下の言葉を読み上げていました。
「日本人は自分自身で考えるという大切なことに欠けている。どんな人の言葉も、盲信してもいけないし、頭から否定してもいけない。必ず自分でよく味わい、吟味しなくてはならないのだ。」
この言葉は、今日の日本においてこそ、よく味わわれる言葉ではないかと思われます。
なお、アガペの像だけでなく、池袋サンシャインシティの一角にある「永久平和を願って」と記された石碑も、背面に若干の説明が記されているものの、同施設を訪れるほとんどの人が知らないようです。現在サンシャインシティがある敷地は、かつて巣鴨プリズンが存在し、多くの戦犯とされた人々がここで収監され、死刑となった場所でした。
戦後、七十年以上の時が経ち、多くの思いや経験や教訓が今や忘れられつつあります。
「長老たちよ、これを聞け。/この地に住むすべての者よ、耳を傾けよ。/あなたがたの時代に、またその先祖の時代に/このようなことがあっただろうか。/これをあなたがたの子らに語り伝えよ。/子らはその子らに/その子らは後の世代に。」(ヨエル書 第一章 二、三節)
ヨエル書のこの言葉のように、私たちも過去の人々の貴重な教訓や、痛切な思いや、心からの尊い祈りを、忘れずに語り継いでいきたいと思います。