「青いひも」

「青いひも」                        

 

「主はモーセに言われた。

イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。

代々にわたって、衣服の四隅に房を縫い付け、その房に青いひもを付けさせなさい。それはあなたたちの房となり、あなたたちがそれを見るとき、主のすべての命令を思い起こして守り、あなたたちが自分の心と目の欲に従って、みだらな行いをしないためである。あなたたちは、わたしのすべての命令を思い起こして守り、あなたたちの神に属する聖なる者となりなさい。わたしは、あなたたちの神となるために、あなたたちをエジプトの国から導き出したあなたたちの神、主である。わたしはあなたたちの神、主である。」(民数記 第十五章 三十七~四十一節)

いつの頃からか、この箇所を、ほぼ毎日、読むようになった。申命記第六章四節から九節、同第十一章十三節から二十一節、そしてこの箇所と、詩編の第百編、および第百四十五から百五十編の順で、ほぼ毎朝、毎夕、何百回と声に出して読んできた。何かの本で、ユダヤ人はそうしていると知ったためだったと思う。べつに私はユダヤ教徒ではないのだけれど、朝夕これらの箇所を読むと、とても心が元気になる気がする。さすがに昔の人たちは、良い習慣を持っていたものだと思う。

しかし、この民数記の箇所に出てくる「青いひも」は、なぜ青いひもなのだろうか。漠然と疑問に思いながらも、何か意味はあるのだろうと思いつつ、よくわからずにずっと過ごしてきた。

福岡聖書研究会の集会で出会った方の中に、李栄培(イ・ヨンベ)さんという韓国の長老教会の牧師さんがいる。ほぼ同い年なので、親しくさせていただき、同じく福岡聖書研究会にときどき来てくださるちょっと年上の作曲家の遠山さんたちと一緒に、ドライブに行ったり、いろんな聖書の話をすることができたのは、今となっては本当に良い思い出である。

李栄培さんは、今年の秋に韓国に帰った。帰国される少し前、この民数記の「青いひも」の意味を、思いきって質問してみた。すると、予想外に明確な答えが返ってきた。

「「青」は空の色、天の色であり、つまり神様のおられるところです。その天界の領域・神の霊の領域と、しっかり絆を結び、いつもそのことを忘れないようにしなさい、ということでしょう」、とのこと。

なるほどーっと思った。とても納得がいった。

詩編第三十六編六節には「主よ、あなたの慈しみは天に/あなたの真実は大空に満ちている。」とある。とても美しい箇所で、吉村先生が「いのちの水」誌で以前引用されていて印象に残り、それ以来よく思い出す聖句である。秋の晴れ渡った空の青さを見ていると、それだけで幸せな、感謝の思いでいっぱいになる。なんとこの世界は美しく、主の慈しみに満ちているのだろう。

出エジプト記第二十四章十節には、神の足もとは「サファイアの敷石」のようなものがあり、「大空のように澄んでいた」と記されている。また、ヨハネ黙示録第四章六節には、神の御座の前は「水晶に似たガラスの海」のようだったと記されている。この青空は、何かしら、そうした神様のおられる場所の似姿なのだと思う。

申命記第十一章には、神を愛し、心を尽し魂を尽して神に仕えるならば、秋の雨と春の雨が降るが、神から離れれば、「天は閉ざされる」と書かれている。この箇所も、単に天候不順になって雨が降らなくなるというよりも、神の霊との交流を失い、雨のような神の御言葉によって魂の潤いを得ることができなくなることをそのように述べているのだと思う。

人は、神の霊とのつながりを決して忘れず、失わぬように、日々に「青いひも」を自らの心にしっかりと結び、結び直していくことが本当に大事なのだと思う。

とはいえ、自分ひとりだと、いつの間にか、青いひもを忘れ、聖書の学びもおろそかになり、御言葉のすばらしさを忘れてしまいがちになる。自分の人生を振り返ると、なんと神の愛を忘れ、あらぬ方向にさまよい、神の慈しみに対する認識も感謝も見失い、人生の困難や苦労に打ちひしがれ、落ち込んだことが多かったことかと思う。

しかし、私の場合、たまたま福岡聖書研究会を知り、またその集会の場において吉村孝雄先生のことを知ることができた。徳島聖書キリスト集会にスカイプを通じて参加し、また、福岡聖書研究会において、聖書を学び、讃美歌を歌う機会が与えられていることは本当に恵まれたことと思う。

これはひとえに、神の側からの一方的な恵みと働きかけだった。青いひもを私の心の四隅に結んでくださったのは、ひとえに神様の側だった。そういえば、「いのちの水」誌の表紙はいつも青色である。これもまた、神様が私に結んでくださった「青いひも」だと思う。

青いひもさえあれば、どんなことがあっても、モーセたちがエジプトを脱出することができたように、神の御導きと御恵みによって、いかなる苦難も乗り越えることができるのだと思う。主に感謝。