核問題についての講演を聞いて
核問題についての講演会があり、聞いてきた。
基調講演は広島の元市長の平岡敬さんで、パネリストは吉岡斉先生と成田龍一先生だった。
心に残ったのは、「一つ一つのプロセスをきちんと問いただすことの大切さ」ということだった。
原爆も、福島原発事故も、結局、きちんと責任の所在が十分に問いただされてこなかったこと。
「一億総懺悔」や「日本には無責任の体系がある」式の、主体の内実をきちんと問われなかったこと。
あたかも当然の前提として日本人や日本という国民国家を措定する思考の仕方だと、かえって責任の所在やプロセスが覆い隠されてしまうこと。
等を成田先生が他のパネリストと議論される中で指摘されていて、考えさせられた。
また、平岡元市長が、原子力の平和利用というものが戦後期待されたがために、広島においても原発の問題がずっと不問に付されてきたことを指摘し、反核兵器と反原発の二つの運動が連携し連帯することが今後は大切ではないかと述べていたことも印象的だった。
アメリカの投下責任を問わなかった戦後の日本と広島の問題にも触れ、占領政策の影響や、本当に死んだ人々の声に耳を傾けてこなかった問題や、アメリカの核の傘の中に居続けてきた欺瞞なども指摘されていた。
また、吉岡先生は、本当にわかりやすく明晰に日本の原発の問題について指摘されていた。
もともと原発産業は採算のとれない「国家のすねかじり息子」だったこと。
もともと原発は世界では一次エネルギーの5%程度で、日本でも10%ほどしか占めておらず、エネルギー需要の自然減も考えれば、原発をなくしても全く問題はないこと、
等々を明晰に説明してくださり、とてもためになった。
また、吉岡先生は「核兵器廃絶は原子力発電廃絶から」ということを提言されていた。
つまり、核兵器は各国の思惑や合意が難しくすぐにはなかなかできないかもしれないが、原発はやめても困らないし、平和利用を口実とした各国の核開発に規制をかけれるようになるし、裾野を削り落とすことで本体を攻める、ということである。
なるほどと思った。
また、原発は「ハイリスク・ローリターン」でビジネスとして成り立たないという吉岡先生の指摘は、未だに原発にしがみつき、そして脱原発を冷笑している人々に、きちんと耳を傾けて欲しいメッセージと思った。
吉岡先生は、福島原発事故の責任の所在として、第一番に責任があるのは東電で、二番目が規制機関、三番目が推進機関で、その他に自治体の責任などもあろうけれど、立地地域の住民や都市住民の責任など無きに等しい、といことをおっしゃられていたこと。
これも、とても共感させられた。
幾たびか敗れても、またチャンスは来るということ。
原発行政のあり方を変えることに挑戦し続けることについて、「目の玉が黒いうちはやり続けるしかない」とおっしゃっていたこと。
さらには「私が歴史を変えることができれば、私が歴史になる。そして、変えたいと思っている。」と言われていたこと。
これらの吉岡先生の言葉や、その奥にある不撓不屈の姿勢が、印象的だった。
他にも、議論の中での、被曝者の体験や証言を、受けとめ、引き継ぐことは、ある意味、自分も被爆者となることであるという成田先生の御話、
それらを、自分自身で消化し発展させて語らなければならないという吉岡先生の御話、
そして、どのような社会をつくりたいかという未来像を主体的につくることが必要だということと、いかにして敵をなくすかが外交だという、平岡元市長の御話も、考えさせられた。
膨大な証言と、そこにも語られなかったもの、語りえなかったものと、その二つを「引き受ける」ことということも、考えさせられた。
戦後を歴史化する、つまり、もう一度プロセスをきちんと問いただし、そして引き受けていくことの中に、おそらくは、私たちが過ちを繰り返さないためのか細い道のよすがもあるのだろうと、聞いていて思った。
なかなか、もう二度と聞けない貴重な御話だったと思う。
主催者の方に心より感謝。