小さな群れと神の国

 

 私は、毎週の集会や、全国の集会などで、「神の国」を実感してきました。私にとっては「神の国」は、まずは理屈ではなくて、感じるものでした。聖書にも、神の国は言葉を超えた力や喜びを実感するものと示されています(1コリ4:20、ロマ14:17)。

 しかし、その一方で、聖書は理性や識別力も大切にしています。聖書の語句に尋ねながら、神の国とは何かを考えてみたいと思います。

 

1、神の国とは

神の国とは「場所や領土の意味ではなく、神が王として恵みと力とをもって支配されること」です(協会共同訳聖書文末用語解説25頁)。神の国は、マルコ、ルカに頻出する用語であり、マタイでは同じことがしばしば「天の国」と、ヨハネでは「永遠の命」と表現されています。

エス使徒の宣教の中心は神の国を述べ伝えることでした(マルコ1:15など)。また、新約聖書の時代において「神の国」という用語は、ローマ皇帝の支配との対照において、また諸霊の支配からの解放において、強調された言葉でした。

 

2、神の国はすでに来ているのか、これから来るのか?

 新約聖書を読むと、神の国はすでに来ていると明記されている箇所があります。「しかし、私が神の指で悪霊を追い出しているのなら、神の国はあなたがたのところに来たのだ。」(ルカ11:20)。

 その一方で、神の国は未来に到来するものだと記されている数多くの箇所があります(マタイ6:10など)。キリスト再臨の終末の日に、神の国は完全に実現すると聖書には記されています。

 また、神の国は人々の中にあると記されている箇所もあります(ルカ17:20-21)。神の国はすでに到来していると同時に、未来において完全に実現する、さらには神に信頼する人々の中にある、ということが聖書からは読み取れます。

 

3、神の国に入ることは難しいのか?

  神の国に入ることは難しいと思われる箇所が、聖書には多数あります。狭い戸口から入らない人(ルカ13:22-30)。金持ち(マタイ19:24)。宴会に招かれているのに用事で忙しい人(ルカ14:15-22)。「主よ、主よ」と言うだけの人(マタイ7:21)。これらの人々は神の国に入ることが難しいとされています。また、新たに生まれなければ、霊によって生まれなければ、神の国には入れないとも記されています(ヨハネ3:3、同3:5)。

 

4、神の国に入ることは簡単なのか?

 

 その一方で、神の国に入ることは簡単なことのように思える箇所もあります。神を愛し、隣人を愛することが大切だとわかっている人は「神の国から遠くない」(マルコ12:32-34)。キリストを信じた徴税人や娼婦(マタイ21:28-32)。子ども、および子どものように神の国を受け入れる人(マルコ10:14b-15)。貧しい者(ルカ6:20)。これらの小さな人々は神の国に入れると明記されています。(「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」(ルカ12:32))

 これらの記述から、キリストを素直に信頼する人は神の国に入ることができると言えます。一方、素直にキリストを信じない人(金の力をよりたのみ、世の中の用事にいそがしい人)は神の国に入ることが難しいとされています。

信仰に辿り着くこと自体が、とかく神から逃れようとする傾向を持っている人間にはしばしば困難を伴います。私自身がそうでした。しかし、いったん素直にキリストを信じる信仰を得れば、ただ信仰のみで救われるということを聖書は伝えています。

 

5、神の国を来たらせ、実現するにはどうすればいいのか?

エスは悪魔の三つめの試み(神殿から飛び降りること)を拒絶しました(ルカ4:9~12)。これは、奇跡によって人々に力を見せつけ、速やかに神の国を建設しろという悪魔の勧めに対する拒絶でした。ただ神を信頼し、奇跡や派手なことをするのではなく、神の御心(神に信頼し、神を愛し、隣人を愛すること)を地道に日常の中で行うこと。これが神の国の実現のために主イエスが選んだ道でした。

 それは一見、迂遠な長くかかる道のように思えます。しかし、神の国は神の力により人が知らないうちに成長していくと聖書には明記されています(マルコ4:26-32)。ただ主イエスという良き羊飼いを信頼すれば、主が正しい道へと導き、恵みで満たしてくださいます(ヨハネ1:16、詩編23編)。

ただ主イエスの福音を信じれば、私たちはすでに神の国の一員であり、神の国が終末に向けて完成していく中で、時に自分にはわからない時にも、なんらかの役割を担い、意味のある人生を送っています。

小さな群れ(=見えざるエクレシア、無教会)に神の国はすでに始まっています。恐れることなく、神に信頼し、神を愛し、隣人を愛して、平信徒として聖書を共に学びつつ、日常を地道に生きれば、その先に神の国の完成もあるということに、心から感謝し、讃美したいと思います。