ある人に勧められて、イマキュレー・イリバギザ『生かされて。』を読んだ。
1994年に起こったルワンダの大虐殺のさなかを奇跡的に生きのびた体験談である。
ルワンダにおけるフツ族とツチ族の抗争と、ツチ族に対する大虐殺は、少しだけ聞いたことがあったが、その詳しいことは全然知らなかったので、あらためてそのひどさに驚かされた。
つい最近まで、一緒に仲良く過ごしていた親友や隣人たちが、突如冷酷になる姿には、本当に驚かざるを得ないが、人間とはそのようなものなのだろうか。
大虐殺が起きる前の筆者の家族たちの幸せな様子と、おおむね平和だったルワンダの美しさと、大虐殺後の対照に胸が詰まった。
だが、大虐殺が起こる前から、根深い両部族間の偏見や確執や歴史的経緯があったことも、この本を読んでよくわかった。
憎悪の伝染や蓄積があると、ある時に爆発し、こういう悲惨な出来事を起こすのだろう。
なので、どの社会も、日ごろから憎悪やヘイトの芽を小さい時から除去していくことが、社会の健全さを保つためには不可欠なのだと思われた。
また、ルワンダにそのような部族対立の根を植え込んだ植民地時代の宗主国のベルギーの罪も重いと思われた。
そうした中にあって、部族間の敵意を持たぬように生き、子どもたちにそう教えていた敬虔なクリスチャンだった筆者の両親と、その両親が殺された後も、信仰を保ち続けた筆者の姿勢には胸打たれるものがあった。
この本のすばらしさは、自らの中の悲しみや憎しみを信仰によって乗り越え、相手を赦そうとし、また苦難な状況の中にあって祈りと信仰に生きる筆者の姿勢にあると思う。
特に心に残ったのは、以下の二箇所だった。
「父はいつも言っていました。祈り過ぎることは決してないと。この戦争を生き抜く戦いとは、内なる自分との戦いなのだと今、私は気づいたのです。」
(151頁)
「私は、自分を、祈りと肯定的な考え方の証だと思いました。
祈りと肯定的な考え方は、ほとんど同じことなのです。神様は肯定的な考え方の源です。そして、祈りは、それに触れる最良の方法です。」
(329頁)
もちろん、本全体を通じての、驚くような神の御手としか思われない大いなるはからいと、筆者のイリバギザさんの赦しへの決断に深く胸打たれた。
私は、筆者のイリバギザさんと比べたらどれだけ恵まれているかわからないのに、とかくネガティブに考えが傾きがちなので、内なる自分と戦い、祈りと肯定的思考を大切に生きていきたいと読みながら思った。
人間の業の深さと、人間のすばらしさと、両方をあらためて深く教えられる稀有な本だと思う。