今日、コーリー・テン・ブーム『わたしの隠れ場』を読み終わった。
著者はオランダ人の女性で、第二次世界大戦中、ユダヤ人をかくまったため、自分自身も家族も強制収容所に入れられた。
本の前半では、楽しかった日々や、だんだんとナチスの脅威が近づいてきた様子、そして、著者の家族たちをはじめとしたごく普通の市井の人々が、ユダヤ人を助けるために大変な勇気と優しさを発揮したことが、リアルに描かれていた。
そのうえで、本の後半では、ユダヤ人をかくまっていたことが原因で、著者と家族たちが強制収容所に送り込まれてからの日々の貴重な記録がしるされている。
著者のコーリーの父は、実直な時計工で聖書を愛読する心優しい人物だったが、逮捕直後に亡くなった。
コーリーとその姉のベッツィーは、はじめはオランダの、そして戦局が悪化してからはドイツの収容所に連れていかれ、過酷な日々を過ごす。
しかし、姉のベッツィ―とコーリーは、看守に見つからないようにいつも聖書を愛読し、人々にも読んで聞かせ、祈りと信仰の中で過ごした。
ナチスの人々や、多くの人が荒んだ心を持っている中、いつも愛に生きていたベッツィーの姿は、本当に奇跡としか思えない。
しかし、ベッツィーも、収容所の過酷な日々の中で、ついに病気で死んでしまう。
その後、コーリーは、なぜか突然釈放されることになり、そのあともすんなりとはいかず、なかなか大変なのだが、オランダに生きて帰ることができた。
それは事務上の単なるミスであったことがずいぶん後にわかり、しかも同じ収容所の人々はその直後にガス室送りになっていたことがあとでわかったそうである。
生前、ベッツィーは、「コーリー、もし人に憎むことを教えることができるとしたら、愛することも教えることができるのじゃないかしら。あなたも私も、たといどれだけ時間が掛かろうと、そのための方法を見つけ出さなくちゃ…」(267頁)と述べていた。
また、亡くなる直前には、ベッツィーが、ことこまかにのちに自分たちが心傷つく人々のための施設をつくることになる広い大きな屋敷の様子を語っていたという。
コーリーは、生きて帰ったあと、オランダで、たまたまその言葉とぴったり符号する大きな屋敷と庭に、戦争で心傷ついた人々のための施設をつくることになった。
それらのことは奇跡としか思えないが、何より一番の奇跡は、収容所の日々においてもベッツィーが感謝や愛を持ち続けていたことと、戦後になってコーリーが収容所の関係者の人に会って赦すことができたことだったと思う。
また、収容所の中で、知的障害者には何の価値もないと言うナチスの将校に対して、コーリーが言った以下の言葉も印象的だった。
「聖書を読みますと、神は、私たちの力や頭脳によって評価されるのではなく、神が私たちを造られたという理由だけで、私たちを価値あるものと認めておられることがわかります。神の目の前では、薄馬鹿が一介の時計工より、または中尉さんより価値があるかも知れないことなど、だれにわかるというのでしょう。」(244頁)
また、
「神の時間どりは完全です。」(340頁)
という言葉も深く胸打たれた。
誤った教育で誤った価値観を持ってしまった当時のドイツの人々のこともリアルに描かれていた。
二度とあのような時代や空気になってはならないと思う。
ある方から長く借りていて、返さねばと思い読んだのだけれど、読後は深い感動に包まれた。
この本を読むことができて本当に良かったと思う。