聖書というのは不思議な本で、以前読んだ時はまったく印象に残らなかった箇所が、ある時にはとても心に響く場合がある。
サムエル記上の一章の、エルカナとハンナの会話は私にとってそうだった。
なかなか子供が生まれず悲しみ嘆くハンナに対し、夫のエルカナが「この私はあなたにとって十人の息子にもまさるではないか」と言って慰める箇所である。
はたして、これが慰めになるのかよくわからないし、自分でそう言っているのも、ある種のボケなのか、なかなか面白い箇所だが、以前はぜんぜん覚えてもいない箇所だった。
似たような状況なので、とても印象に残る箇所となった。
で、泣いている妻に、この話をわかりやすく伝えて、このセリフを言ってみた。
やっと笑ってもらえた。
たぶん、エルカナは、冗談が好きで、ユダヤ・ジョークが得意だったのかもしれない。
妻にとって私が十人の子にまさるかどうかはわからないが、妻が私にとって十人の子にまさる、かけがえのない存在であることは間違いない。
子ができるかどうかは、神の御業なので、信じて待つことにして、妻がいるだけで十分幸せで感謝していることは、これからも折に触れてしっかり伝えていきたいと思う。
信仰とは、神の愛と全能を信じて待つこと。
聖書のおかげで、いろんな笑いや知恵や忍耐を気分を切り替えて持つことができ、待つことができるのは、本当にありがたいことだと思う。