ミカについて その勇気に関して
旧約聖書の十二小預言書の中のひとつ、ミカ書に記されているミカについては、ほとんど何もわからない。
ミカ書とその中から一部引用しているエレミヤ書以外に何も伝えられていない。
ミカ書においても、モレシェトという田舎の出身だったことと、父親の名前が伝わっていないので、おそらくは単なる庶民であったことぐらいしかわからない。
ただ、ミカ書の中の言葉を通じて思うに、おそらく大変な熱血漢で、勇気ある人物だったのだろうなぁと思われる。
「しかれども、
我はエホバの御霊(みたま)によりて、
能力(ちから)身に満ち、
公義、および勇気うちに満ちれば、
ヤコブにその愆(とが)を示し、
イスラエルにその罪を示すことを得。」
(ミカ書 第三章 八節 文語訳)
たった一人ででも、勇気に満ちて、千万人ともいえども我往かんの気概に満ちて、社会の不正や腐敗を忌憚なく批判する。
そういう人物だったのだろう。
旧約聖書の中では、同じ十二小預言書のひとつの、アモス書もまたそのような勇気や正義に満ちた書物である。
アモスも、たった一人でも、大祭司を相手にしても、一歩も引かない人物だった。
歴史がずっと下れば、ルターが、ヴィッテンベルクやヴォルムスにおいて、教皇や皇帝の権威をも恐れず、たった一人でも断固として退くことなくみずからの所説を貫いたことは、近代的な個人の自立のひとつのメルクマールとしてよく指摘されることである。
時折、そうした人物が歴史上にはいる。
ただ、そうした勇気ある人物は極めて稀である。
人の世においては、波風立てず、保身に生きた方がラクではあるし、そうでないと身がもたないと思う場合も多い。
多くの人が、さまざまな圧力や摩擦をおそれて、義や勇気というものをひっこめてしまう。
そうした人類の大半のあり方からした時に、やはりミカは、極めて稀な人であり、その光は非常に貴重なものに思う。
ミカがどのような人だったかほとんどわからないが、その稀な勇気に、何かしら時空を超えて、とてもなつかしいような、慕わしいものが感じられてならない。
ミカ書からは、ミカが多くの弾圧や、時には密告によって苦しい目にあったであろうことがうかがわれる。
エレミヤなどの預言者が受難の人生を歩んだように、詳しいことはわからないが、ミカもおそらく苦難の多い人生だったのだろうと思われる。
だが、人が本当に後世に伝えることができるのは、ひょっとしたら、勇気や気概というものだけなのかもしれない。
その他の多くのことは、情報としては伝わるけれど、それは本当は後世の人の心に伝わるものではなく、単なる形骸だけなのかもしれない。
本当に後世の人に生きたものとして伝わるのは、その人の生きた心というか、勇気や気概や義や愛や、そういうものなのかもしれない。
とすれば、ミカはほとんどわからないながらも、実は最も多くのものを、ミカ書を丹念に読む人には、伝えることに成功している人なのかもしれない。
なぜなら、時空を超えて、その稀なる勇気に心動かされ、匹夫をして立たしむるものがあるからである。