ゼカリヤ書(2) ―城壁のない開かれた所
『ゼカリヤ書(2) ―城壁のない開かれた所』
Ⅰ、はじめに
Ⅱ、第二の幻:四本の角と四人の鉄工
Ⅲ、第三の幻:城壁のない開かれた所
Ⅳ、おわりに
Ⅰ、はじめに
・前回のまとめ
ゼカリヤ書は十二小預言書の一つで、バビロン捕囚から帰還した後の時代に、ハガイとともに神殿再建に尽力した預言者ゼカリヤによる預言をまとめたもの。メシア預言を多く含み新約とも関連が深い。第一章では、人が神に立ち帰ればただちに神もその人に立ち帰ることが告げられ、さらにミルトスの林の中で神と人との間をとりなすみ使い(おそらくはキリスト)のビジョンが告げられた。
※ 「ゼカリヤ書の構成」
第一部 八つの幻と社会正義への呼びかけ 第一章~第八章 ⇒今回は二章
第二部 メシア預言と審判後のエルサレムの救い 第九章~第十四章
・第一部(第一~第八章)の構成
神に帰ること (第一章)
第一の幻 ミルトスの林と馬 (第一章)
第二の幻 四本の角と四人の鉄工 (第二章) ⇒ 今回
第三の幻 城壁のないエルサレム (第二章) ⇒ 今回
第四の幻 汚れた衣を晴れ着に着替えさせられる (第三章)
第五の幻 七つのともし火皿と二本のオリーブ (第四章)
第六の幻 飛ぶ巻物 (第五章)
第七の幻 エファ升の中の女と神殿 (第五章)
第八の幻 四両の戦車と北の地の神霊 (第六章)
ヨシュアの戴冠 (第六章)
真実と正義の勧め (第七~八章)
Ⅱ、第二の幻:四本の角と四人の鉄工 (2:1~2:4)
◇ 2:1 四本の角
角:力の象徴。(図像には悪魔や鬼によく角が生えている。怒りや傲慢の象徴。)
四:四つの方角、世界全体の象徴。四方から角が攻めてくること。
・ダニエル書第七章:四頭の獣の幻、第四の獣は十本の角
⇒ バビロニア、メディア、ペルシア、マケドニア? あるいは、エジプト、アッシリア、バビロニア、ペルシア?
・黙示録第十三章:二匹の獣、十本の角と七つの頭の獣と、小羊の角に似た二本の角の獣。 ⇒ ローマ帝国と偽メシア?
ゼカリヤ書二章の四本の角は、バビロニア、エドム、アンモン、モアブ、ペルシア等?なんらかのユダヤに敵対する民族、国々を指すと一応は考えられる。
⇒ 同じ意味ともとれるが、南ユダ王国と北イスラエル王国と、本来はそのどちらにとっても首都だったはずのエルサレムを挙げているともとれる。
その場合、ソロモンの背信の結果、南北に分裂してしまった神の民を嘆いている意味合いがこめられていることになる(参照:列王記上11、12章)
だとすれば、「角」は、単に外的や外部の力というよりも、内部において人々の心を分裂させる内的な力を指すと考えられる(ソロモンやヤロブアムの偶像崇拝、レハブアムの傲慢や他人への共感の欠如、ヤロブアムのベテルの神殿をつくるなどの分裂志向や反逆など)。
- 四本の角とは:「角」を外的な勢力や国と受取ることは、外部の脅威に目を向ける人間にはありがちなことである。今の日本にも、周辺諸国を脅威としたり敵視する言説がはびこっている。しかし、内面に働く悪しき力と考えるならば、傲慢・過度の筋違いな怒り・欲望・偶像崇拝や物質主義などと「角」を解釈することも可能である。
◇ 2:3 「四人の鉄工」
鉄工:文語訳「鍛冶」、新改訳2017「職人」、岩波訳「鍛冶職人」
⇒ 神の命を受け、角を切り倒すために来る。
岩波訳2:3d :「これらは、その頭を上げ得ないほどユダを蹴散らした角だが、これら〔の鍛冶職人〕は、地に角を振り上げてユダを蹴散らした諸国民を脅かし、彼らの角を投げ倒すために来るのだ。」
四本の角に対しては、四人の「鉄工」が現れて、角を切り倒すために来る。
⇒ この世界の、さまざまな悪や問題に取り組む人々。
四は例として挙げられているだけで、本当は敵の数だけ天使が遣わされる(矢内原忠雄の解釈)。この世界の問題の数だけ、それに取り組む人々もいる。
ex:アパルトヘイトにはマンデラ、公民権問題にはキング牧師、インドのスラム街にはマザーテレサ、アフガニスタンには中村哲さん、等々。
- 大切なことは、世界のあちこちに存在している問題や悪(角)を見るだけではなく、それらと取り組んでいる神の命を受けた鉄工・鍛冶職人が必ずいることを知って、その人たちの取り組みを支援したり、それらの人々のメッセージに耳を傾けることではないか。また、自分自身もできれば鍛冶職人になり、角を切ることに尽力すべき。
参照:イザヤ54:16 「見よ、わたしは職人を創造した。彼は炭火をおこし、仕事のために道具を作る。わたしは破壊する者も創造してそれを破壊させる。」
⇒ 鉄工・職人のわざや創造もまた、神の創造の働きのうち。
神は人を通して働かれる。
「鉄工」は天使と解釈しても良いかもしれないが、悪と戦う神の命を受けた人間と解釈すべきと思われる。
・第二の幻から考えたこと:※「角」を国々、世俗の権力者のことだと考えると、世俗の権力をどう考えるべきか?
聖書においては、ロマ書13章では、権力は神に由来するとされ、従うべきとされる。一方、黙示録13章では、サタンによって権威が授けられている権力者がいるとされる。
⇒ 本来的には世俗の権力や国家秩序も神のつくった秩序の内であり、神によって命じられているものだが、その座に就くものが間違った目的や行動をとる場合、それは神ではなくサタンに仕えるものであり、サタンに据えられたものとも言える。
私たちは、基本的にはロマ書13章に従い、権力や権威を尊重し従うべきではあるものの、実際の権力者や政治が何を目的とし何を基準としているかについてはよく聖書を基準に見定め、それが明らかに神の目的(一人一人を大切にする愛)に反している場合は、「角」を切り倒す「鉄工」となり不正と闘うこと、そうした鉄工の人々を支持することが重要ではないかと思われる。
Ⅲ、第三の幻:城壁のない開かれた所(2:5~2:17)
◇ 2:5-6 測り縄:
① エルサレム復興のため、修復や街づくりのための測量?
② 物事の価値基準を定めることの象徴?
③ エルサレム=神の民とすると、人々の心の広さや深さをみ使いが測る?
⇒ おそらくはそのどれもであるが、捕囚期間後というゼカリヤの背景を考えると、エルサレムの復興を示していると考えられる。
- 2:7 「わたしに語りかけたみ使い」
⇒新改訳2017 「私と話していたみ使い」
- 2:8 「あの若者」 ←測り縄を持ったみ使いのことではなくて、おそらくはゼカリヤのこと。測り縄を持ったみ使いに対し、もう一人のみ使いが、ゼカリヤに2:8以下のメッセージを告げるように言っていると解釈できる。
- 「エルサレムは・・・城壁のない開かれた所となる。」
城壁:当時は、戦争の際の防御のため、通常、都市は城壁に囲まれていた。
では、なぜ城壁がないところになるのか?
① エルサレムが人と家畜に溢れて繁栄する場所となるので、小さな城壁だと手狭になってしまうので、測り縄を張って小さな城壁をつくるな、という意味(矢内原説)。
c.f. ウィーンのリングシュトラーセ。1857年に市壁の放棄が決定され、環状道路がつくられ、それが大きな発展の契機となった。
② 軍備を撤廃し、神が守ってくださることを信じ、城壁を持たない。
c.f. 日本の平城京は、長安などと比較した時に、そもそも城壁がなかった。
c.f. 武田信玄「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」⇒甲斐に城をつくらなかった。
⇒ 次の9節で神自身が火の城壁となると言っていることを考えれば、②の解釈が正しいと考えられる。
主が「その中にあって栄光となる」。
神が神の民に中にいてくださる。(メシア預言)
- 2:10―11 バビロンから逃れよという勧め。
当時の歴史的文脈から言えば、バビロン捕囚から解放されても、なお帰還せず多くのユダヤ人がバビロンに留まっていたという状況があった。それらの人に対し、バビロンから逃れることを勧めている(おそらくは精神や文化に悪影響があることや、イスラエルの復興を神が意図しているため)。
⇒ 歴史的文脈から離れれば、バビロンから逃れることの勧めは、いつの時代においても、神に信頼し、物質主義や利己主義や恐怖心から離れることの勧め。
c.f. 日本国憲法前文「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
(戦前の軍国主義や戦後のアメリカへの依存とは異なる、正義への信頼の道)
- 2:12 「わたしの目の瞳に触れる者だ」
c.f. 申命記32:20 「主は荒れ野で彼を見いだし/獣のほえる不毛の地でこれを見つけ/これを囲い、いたわり/御自分のひとみのように守られた。」
c.f. コーリー・テン・ブーム『わたしの隠れ場』(いのちのことば社)
第二次世界大戦中、オランダでユダヤ人をかくまったため、ホロコーストに送られた一家の物語(実話回想録)。著者の父親は、ユダヤ人をかくまったためにホロコーストに送られて殺されるが、ユダヤ人を迫害するドイツ人たちを見て、なんとかわいそうな人たちだと気の毒がっていた。娘が理由を尋ねると、彼らは神の瞳に触れてしまった、今に必ず恐ろしい罰が下ると述べた。
・神はユダヤ人やエクレシアに対してはもちろん、すべての人を「瞳のように守る」ことを忘れないこと。
- 2:13 「自分自身の僕に奪われる」 ⇒ 暴虐な国や人々は自壊すること。神が瞳のように守る人々を傷つけ、虐げた国や権力者は、必ず反乱や内部の転覆で滅びる。
- 2:14 人々のただ中に住まう神
人々の心の中に住まい、働きかける神。聖霊。(内なるキリスト、ヨハネ6:56、同14:17、同17:26、Ⅱコリ13:5、コロサイ1:27、Ⅰヨハ4:4)
岩波訳2:14「『娘シオンよ、/歓び、喜べ。/わたしは来て、/あなたの只中に住むからである』。/―〔これは〕ヤハウェの御告げ―」
- 2:15 多くの国々が主に帰依し、その中に神が住まう。
異邦人の救いの預言。神の民はユダヤ人に限定されず、キリストを信じたすべての人、エクレシア全体が神の民であり、神がその中に住まう。
- 2:16 再び選ぶ
神は一度背いても、立ち帰れば、再び選んでくださる。
- 2:17
神の前に静かに沈黙すること。静かに沈黙して祈ること。
c.f. イザヤ30:15 「お前たちは、立ち帰って/静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」
c.f. ハバクク2:20 「しかし、主はその聖なる神殿におられる。全地よ、御前に沈黙せよ。」
「主はその住まいから立ちあがられる。」
⇒ 主は歴史を通して働きかける神であること。
⇒ あるいは、復活を指す? ギリシャ語の復活・アナスタシス=立ちあがる
- 神が守ってくださること、バビロンから逃れるべきこと、神の瞳のように大切にされていること、神がエクレシアの只中に住んでくださることを喜ぶこと、神が復活し、立ち上がること。これらを静かに沈黙の中で思い考えることの勧め。
Ⅳ、おわりに
ゼカリヤ書二章から考えたこと
・神の民・神の国は壁のない開かれた所であるということ。
・私たちは、日ごろあまりにも多くの壁をつくってしまってはいないか。
ex:ベルリンの壁、イスラエル・パレスチナの分離壁、メキシコとアメリカの壁。アメリカの要塞町。
ex:人種、民族、病気/健康、学歴・教育、宗教、政治信条・政党etc.
⇒ イエスは、あらゆる壁や隔たりをなくし、壊された方だった。
エフェソ2:14-16:
「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」
・私たちもまた、イエスに倣い、なるべく壁や隔てをなくすように努めることが大切ではないか。
・平和や非暴力・非武装・軍縮は、神への信頼・正義への信頼・真理への信頼が基礎になければ、難しいというのが聖書の示すところではないか。
・宗教の隔ての問題(マザーテレサはそれぞれの人の宗教を尊重。「わたしはどんな近づき方をするでしょう?カトリック、ヒンズー教、他のだれかには仏教と、その人の心に合った方法で。」)
「参考文献」
・聖書:新共同訳、フランシスコ会訳、関根訳、岩波訳、バルバロ訳、文語訳、口語訳、英訳(NIV等)
・ヘブライ語の参照サイト:Bible Hub (http://biblehub.com/)
・『新聖書講解シリーズ旧約9』いのちのことば社、2010年
・『Bible Navi ディボーショナル聖書注解』いのちのことば社、2014年
・『聖書事典』日本基督教団出版局、1961年 他多数