犬養先生から聞いたこと
今日は、犬養光博牧師が福岡に来てくださり、上野英信についての御話をしてくださった。
(その時の番組は、以下で視聴できる。
(犬養先生は、自分には四人の人生の師がいたと思っており、上野英信はその一人だとおっしゃっていた。(他には高橋三郎先生などの名前を挙げておられた。))
「上野さんは、亡くなった人に対しても、生きている人に対しても、炭坑にいる人々の魂を大切にして、魂に問いかけ耳を傾け魂と語りあっていた、だからか、上野さんが死んだときに、それらの魂の皆が喜んで迎えに来ている、そういう風に感じた」
という意味のことを話した、まさにそのように、「魂に語りかけ、魂を大切にした」人だったそうだ。
犬養先生にとって、上野英信はクリスチャンではなかったけれども、ひとりひとりと共に歩んだという生き方において、まさにイエスのように歩いた人だったと自分には思えてならない、そういう人だったとおっしゃっていた。
「歌は唖にききやい/道ゃめくらにききやい/理屈ゃつんぼにききやい/丈夫なやちゃいいごっばっかっい」
という言葉が記されていることを紹介されていた。
こういう、理屈ではない、本当に深い言葉というものに耳を傾けることというのは、すごいことだと思う。
また、上野英信の遺言の、
「筑豊よ/日本を根底から/変革するエネルギーの/ルツボであれ/火床であれ」
という言葉について解説してくださった。
この言葉に対し、他のある人がロマンチストだと述べたことあったそうだけれど、決してロマンチストだとかそういうことではなく、火床というのは山の下に眠っているマグマのことで、そこまで掘っていけばすごいエネルギーが出てくるということで、
そして、ルツボというのはいろんな鉱物以外のものも入っている混沌の中から本当に宝となる鉱物を取り出すということであり、
今日、不都合な話として筑豊の暗い歴史がともすれば覆い隠され無視されているのは、実はそこに本当は火床があるからではないか、という御話をしてくださった。
考えさせられた。
また、何よりも、今日の御話の中でとても印象的だったのは、上野英信が明治の女坑夫の言葉として記録している、
「あたしゃ、ほかになーんも望みはなかが、でくることなら、ぜひ、馬車馬に産まれてきたかよ…」
という言葉だった。
犬養先生が解説するには、馬車馬というのは、炭坑の地下の中で荷物を運ぶ馬で、最も重い荷物を運び、地上に二度と出ることがなく死んでいくことも多い馬だそうである。
そのような馬車馬に、生まれ変わるなら生まれ変わりたいと、その女性の坑夫は言ったわけである。
それはどういうことかというと、他の誰かが重い荷物を背負うならば、自分がその荷を背負いたい、他の人には担わせず、自分が一番重い荷物を負いたい、ということだそうである。
ちょっとこれは衝撃というか、最も苦しんだ人だから持つことができる、本当の優しさというか、祈りというか、ちょっと言葉を越えたすごいものを感じざるを得なかった。
その他、いろいろ貴重な御話を聞くことができて感謝だった。
昼食の懇親会では、犬養先生の上野英信との個人的な思い出についてもいろいろお聞きできた。
その時に、「犬養君、やっと君はここに来てはじめて生産的なことをしたね」と言われたそうで、ずいぶんがんばっているつもりが、なかなか厳しいことを言われるなぁと思ったそうだ。
けれども、そういった感じでだんだん近しくなり、お酒が自分も上野先生も好きだったので、そこで本当に打ち解けて行った、ということを懐かしそうに御話されていた。
上野英信の本や林えいだいの本など、意識的に読まないと、今日忘れられてしまいつつある貴重な歴史を本当に私たちの世代は知らずに済ませてしまうわけで、なるべくきちんと読んで、知っている限りは、後の時代の人に語り伝えることができるようになりたいと思う。
今年は上野英信の没後三十年で、福岡でも展示が企画されているようである。
犬養先生には、二年ぶりにお会いしたのだけれど、お元気そうで本当に良かった。
またお会いするまで、今日教えていただいたことを忘れず、なるべくいろいろまた本を読んでおきたいものだと思う。