上野英信 『写真万葉録・筑豊』全十巻

上野英信『写真万葉録・筑豊』全十巻を読み終わった。
一ヶ月ほど前、上野英信の友人でもあった犬養先生から勧められて、ちょっとずつ読み始めた。
戦前・戦中・戦後の筑豊の様子などが映っていて、このような本にまとめねばおそらくは多くは忘れられていったかもしれない貴重な風景や光景の記録だった。
ごく普通の、名もなき人々への、限りない愛と惜別と寄り添う心がなければ、このような本はできなかったことだろう。
 
著者が言うには、筑豊は「日本資本主義のはらわた」であり、最も過酷な資本主義の収奪や抑圧が横行した地域だった。
推計によれば、六万人以上が事故死したらしい。
事故が多発する危険な労働環境である上に、骨の髄までしゃぶり尽くすような搾取と過酷な労働だったようである。
特に戦前・戦中はひどかったようだ。
 
しかし、この写真集では、束の間、廃坑閉山になるまでの間の戦後の一時期の、幸せそうなさりげない日常や、元気な子どもの様子も記録されていた。
ただ、それらの束の間の幸せも、エネルギー政策の変更による炭坑閉山で雲散霧消してしまったようである。
今は、筑豊はさびれて、かつての炭鉱もボタ山も、それと知って見なければわからないほど風雪にさらされている場合も多いようである。
 
この写真集を読んでいて印象的だったのは、筑豊の路地や炭坑の様子が映っている他の巻もさることながら、閉山後にブラジルやパラグアイに移住した人々の写真とそれらの人々の人生の経歴が書かれている巻だった。
国策で捨てられた「棄民」の人々の、ひとりひとりの顔や人生や名前を記録に残していった上野英信の「愛」は、本当にすごいと思った。
それらの人々の苦労は、とても想像を越えていたと思うし、そしてめったに顧みられることもなかったのかもしれないけれど、本当に立派だったと思う。
西ドイツまで移住して行った人々が多数いるということは、恥ずかしながら私はこの本ではじめて知った。
 
また、筑豊に強制連行されてきた朝鮮の人々の、墓石とも言えないようなごろごろとした石の墓や、名前すら書かれず年齢と「某鮮人」とのみ記された過去帳の写真なども、絶句せざるを得なかった。
戦時中は筑豊の炭坑労働者の三分の一は朝鮮の人々であり、その多くは強制徴用だったそうで、過酷な労働環境の中命を落としていった人も多かったそうである。
 
山本作兵衛の証言として本の中で紹介するエピソードの中の、あまりの過酷な労働環境に堪えかねて、ダイナマイトで自爆死する人が戦時中はしばしばいた、という話にも、なんとも絶句する他なかった。
 
こうした過酷な収奪の上に巨万の富を築いた炭坑財閥の人々の、邸宅が観光名所になり、今もその子孫が権勢を振るっているのを見ると、せめてもこうした歴史が一方にあったことを、庶民の側は忘れない方がいいのではないかと思えてならなかった。
 
かく言う私自身、この年になってこの本を読むまで、ほとんど何も知らなかったなぁとしみじみ思う。
福岡の公共図書館の多くにはこの本が置かれているようなので、多くの人々にこれからも読み継がれて欲しいと思った。