ユダヤ教やユダヤの歴史をいろいろ追っていて、いまいちよくわからないことがある。
というのは、キリストの十字架の話である。
どうもいまいちよくわからないのは、あれは本当にユダヤ人のしたことだったのだろうか。
もちろん、本当にそうした出来事があったのだろうとは思うのだけれど、いまいち、腑に落ちない。
というのは、ユダヤ教は中世において事実上死刑制度を廃止していたほど、人の生命を慈しみ大切にする宗教だからである。
しかも裁判に関しては複数の証言を必要とすることを規定するほど、極めて冤罪に対して慎重な法律や文化を持つ人々だった。
中世や近代のユダヤ教の教えや説話の数々に触れるたびに、その寛容や知性に驚嘆するばかりで、中世キリスト教の独善性や偏狭さよりはるかに明晰で開かれた豊饒な精神文化を感じる。
キリストを十字架にかけたのが、中世のキリスト教徒だったと聞けば、さもありなんと納得のいく気もするのだが、(あるいは近代の原理主義だったと聞くならば納得するのだが)、どうも、中世ユダヤ教や近代のユダヤ系の知識人を見る限り、なんともキリストを十字架にかけたユダヤ人とは似ても似つかないものを感じるのである。
新約聖書の中で、中世や近代のユダヤ人に最も近いタイプの人を見いだすとすれば、それはたぶん、ガマリエルだと思う。
ガマリエルがユダヤの人々の先祖だというのは極めて納得がいく。
しかし、カヤパたちはどうにも似ても似つかない気がして首をかしげる。
当時のユダヤ教の人々の中で、ガマリエルのような人々だけが生き残り、そうした人々の系譜がその後続いていったということなのだろうか。
あるいは、中世のユダヤ教は、ヨーロッパや中東におけるマイノリティとしての環境の中で生み出されたものであり、マイノリティの場合は人間は謙虚になり鍛えられてすぐれた寛容や知性を持つに至るが、ユダヤほどの人々でも、かつてマジョリティであった時には、時にはキリストの十字架につながるようなメンタリティを持ってしまった時代もあったということなのだろうか。
なんともよくわからないが、極めて悲劇的に思うのは、実際はカヤパよりもガマリエルのような人々であった中世や近代のユダヤの人々が、しばしばキリストを十字架にかけたカヤパたちのようなイメージでとらえられて、いわれなき暴力や迫害を受け続けたというのは、なんとも心の痛むことである。
あるいは、キリストの十字架の出来事について大胆に想像や妄想を働かせるならば、聖書の記述よりも、はるかにローマのコミットメントがあの出来事にはあったのではないかとも、思ったりもする。
ピラト個人はあのとおりだったのかもしれないが、もっと別にローマの意向や力学が働いたということはなかったのだろうか。
とはいえ、十字架の出来事は、やはりあったのだろう。
一民族の性格は、しばしば、時の流れや環境の変化によって、著しく変わることもあるのだろうか。
奇妙なことだが、中世以降のヨーロッパにおいて、キリストを迫害するユダヤ人たちの姿は、実はユダヤ人ではなくてキリスト教徒が最もよく似ており、ユダヤ人たちがしばしばキリストの受難の似姿となっていたように思う。
イザヤ書53章を、ユダヤ人の中には、特定の人物やイエスのことではなくて、ユダヤ民族全体の運命の預言と受けとめる人もいるようだが、それもある意味、あながち的外れではない気もする。