「残りの者」について

聖書には「残りの者」という表現がしばしば出てくる。

世の中が堕落し、神に背いた人ばかり多くなっても、その中で、神への信仰を持ち、義しく生きようとする少数の人々を指す言葉である。

旧約聖書のミカ書には、以下の言葉がある。


「ヤコブの残りの者は
多くの民のただ中にいて
主から降りる露のよう
草の上に降る雨のようだ。
彼らは人の力に望みをおかず
人の子らを頼りとしない。 」

(ミカ書 第五章 六節)

ヤコブというのは、ユダヤ人一般をここでは指している。

聖書の他の箇所に、神の言葉は人々の心を潤す雨のようなものだという表現があり(申命記32:2)、それを踏まえているのだと思われるが、とても美しい箇所と思う。

人間を頼りとせず、神の言葉を頼りとする。
そうした「残りの者」たちが、数は少なくても、いつの世にもいる。

そうした人々の言葉こそが、本当に、人の心を露や雨のように、その時々に、潤してきたのではないかと思う。

日本においては、内村鑑三矢内原忠雄や高橋三郎などが、そういった人びとだったと思う。

今の時代にもまた、数は少なくとも、そうした「残りの人々」がいる。
そうした残りの人々の言葉に連なり、共に生きていくことが、人生において最も大切なことではないかと思う。