来日している外国人の若者の結核感染について

今日、市役所等の方々と御話したり質問する機会があり、そこで聞いた話である。

ベトナムや中国やネパールなどからの留学生の中には、同じ部屋に七、八人ぐらいで住んで、そこで結核菌に感染して結核になる場合もあるという。

昼間にほんの少し日本語を勉強し、研修生ということでその他の時間は働くそうである。
本当に現代の女工哀史のような話である。

なんともひどい話だと思ったのは、そういった大勢で一部屋に七、八人で一緒に住んでいる留学生の中には、男女別ではなく男女混ざって暮している場合もあるという。

部屋の中にカーテンでもして仕切りはつけているのかもしれないが、なんともひどい話である。

おそらく、斡旋する業者などにそれなりのお金を渡して、日本での勉強や研修に期待を持って来日しているはずだけれど、そうした劣悪な住環境で結核にかかるリスクもあるということを、それらの方々はどれぐらい理解し認識してやって来ているのだろうか。

来日時の検診や、その後も毎年健康診断を受けるようには行政から語学の専門学校などに要請しているそうだが、なかなか啓発や情報が行きわたらないようである。

また、専門学校はまだいろんな連絡や要請ができるので良い部類だそうで、もぐりを含めた斡旋業者が研修という名目で外国人の若者を連れて来ても、ビザが出てしまう場合があるそうである。

一応、法的な規制や枠組みはいろいろあるそうなのだが、その中から抜け落ちてしまう場合が多いらしく、どのようにして人権を守り情報を伝えることができるかが今後の課題だそうである。

日本で結核にかかれば、入院している間は公費から治療費が出るが、問題なのは退院した後で、退院後も自己負担分は5%ぐらいのかなり割安で薬の治療を受けることができるそうなのだけれど、それを知らずに通院せず無理してしまう人が多いそうである。

きちんと予防や治療が行われず、結核感染症が留学生や研修生の間で拡散すれば、結局公費の負担も増えるわけで、早い段階できちんと予防や情報の徹底がなされることが本当は一番良いのだと思われる。

結核にかかる人は、日本人の場合はほとんど年配の方で、若い人は本当に少ない。
いま若い人で日本で結核になるほとんどの人は、外国からの留学生・研修生である。
中には本国で感染していて日本に来て発病する人もいるのだろうけれど、そうではなくて、日本に来てからそうした人と接触して感染する方は本当に気の毒と思う。

なんとか良い方向に対処して、それらの方々の健康が守られることが願われてならない。

雑感 信仰について

自分は、どうも信仰の点で、あやふやと思う。
どのような点であやふやなのかというと、つまり、神は本当に最善をなすのか、最善をなすことができるのか、という点である。

書けばなんともはや恐ろしいことだが、その点がどうしてもひっかかる。

もし神が本当に愛の神であり、全知全能であるならば、必ず最善をなすはずである。

しかるに、どうしてこの世には、とても最善とは思えない、悲惨なことや不条理な悲しみが存在するのだろうか。

その答えとして考えられるのは、

1、神は最善をなしていないか(つまり愛の神ではないか)、
2、神は最善をなすことができないか(つまり全能ではないか)、
3、あるいは人の目には最善と見えなくても実は最善をなしているのか、

の三つが考えられる。

しかし、1は、私は考えられない。
というのは、神は愛だということは、イエスの生涯を通じ、また聖書を通じて、私にでも感得できるからである。

とすると、2か3であろうか?
しかし、2とすると、この世はいったい何なのだろうか。神とは何なのだろう。
また、3とすると、なぜ、そのようなことをするのだろうか?人の目になぜすぐに見せないのだろうか。

思うに、2と3の問題で納得がいくためには、時間の概念を導入するしかないのかもしれない。
あるいは、神に自己否定の概念を導入するしかないのかもしれない。

つまり、神は全能だが、人間の自由意志を尊重するゆえに、人間の自由意志を尊重した上で、歴史の中で少しずつ自らの意志を現すと。

そう考えると、少し納得がいくような気もする。

結局のところ、人間は、神が愛の神でありまた全能の神であることを信じ、最善がやがて実現するはずだと信じていくのが良いのだろうか。

 

そして、信仰というものは、神と自分との一対一のことであり、その体験や歴程は一般化できないことなのかもしれない。ゆえに、自分自身の実存をかけて、体験を積み重ねていくしかないことなのだろう。

雑感 社会正義と宗教について

仏教とキリスト教のどちらが優れているかは、一概には言えないとは思う。
たぶん、それぞれにすぐれているところはあるのだろうけれど、ただ、私が仏典よりも聖書において、何かしら心に響くものがあるとすれば、そのひとつは、社会正義の問題があるように思う。

アモス、ホセア、イザヤ、ミカといった預言者たちは、当時の社会を真っ向から批判し、社会正義を求め、貧富の格差と闘い、民族全体の悔い改めと救いを求めた。

それと比べて、仏教は、個人の救いばかり求めて、非常に社会性や社会正義が希薄と思う。

もちろん、七不退法や、長部経典や増支部経典の中の社会が繁栄するための方法などをピックアップすれば、仏典にも社会性がないわけでもないと思うが、基本的にあまり社会正義は仏教においてはそもそもテーマにもなっていないとは言えるだろう。

べつに、だから悪いとは一概には言えないのかもしれない。
そもそも、社会正義などどうでも良いという立場もありえるだろうし、社会正義など言うから争いが起きるという意見もありえるのかもしれない。

しかし、私自身のことを言うならば、社会正義に無関心で、個人の救いだけを求めるのは、どうもあまり心に響かない気がするし、勇気とならない気がする。

むろん、社会正義などに拘泥するのはまだレベルが低い段階で、本当にすぐれた境地の人は社会を捨てて解脱の道に励むという考えも成り立ちうるのかもしれない。
べつにそういう考えの人はそれでいいのかもしれない。

しかし、私自身に限って言えば、アモスやホセアやミカやイザヤの言葉を聞く時に、はじめて心が燃え、生きていく勇気をもらえる気がするのである。

したがって、私は、聖書を愛読する。

だが、アモスらは旧約の預言者である。
日本のキリスト教の多くは、旧約をろくに読まない人も多いらしいし、社会正義には無関心なクリスチャンも案外多くいて、その点では別に仏教とさほど変わらない場合も多いのかもしれない。
私が仏典よりも聖書を日頃愛読するとすれば、その理由の大きな一つは、旧約、特に十二小預言書なのだと思う。
したがって、ろくに旧約や十二小預言書を読まない一般的なキリスト教は、やはり同様にさほど心惹かれないし興味が持てないものではある。 仏教とキリスト教のどちらが優れているかは、一概には言えないとは思う。
たぶん、それぞれにすぐれているところはあるのだろうけれど、ただ、私が仏典よりも聖書において、何かしら心に響くものがあるとすれば、そのひとつは、社会正義の問題があるように思う。

アモス、ホセア、イザヤ、ミカといった預言者たちは、当時の社会を真っ向から批判し、社会正義を求め、貧富の格差と闘い、民族全体の悔い改めと救いを求めた。

それと比べて、仏教は、個人の救いばかり求めて、非常に社会性や社会正義が希薄と思う。

もちろん、七不退法や、長部経典や増支部経典の中の社会が繁栄するための方法などをピックアップすれば、仏典にも社会性がないわけでもないと思うが、基本的にあまり社会正義は仏教においてはそもそもテーマにもなっていないとは言えるだろう。

べつに、だから悪いとは一概には言えないのかもしれない。
そもそも、社会正義などどうでも良いという立場もありえるだろうし、社会正義など言うから争いが起きるという意見もありえるのかもしれない。

しかし、私自身のことを言うならば、社会正義に無関心で、個人の救いだけを求めるのは、どうもあまり心に響かない気がするし、勇気とならない気がする。

むろん、社会正義などに拘泥するのはまだレベルが低い段階で、本当にすぐれた境地の人は社会を捨てて解脱の道に励むという考えも成り立ちうるのかもしれない。
べつにそういう考えの人はそれでいいのかもしれない。

しかし、私自身に限って言えば、アモスやホセアやミカやイザヤの言葉を聞く時に、はじめて心が燃え、生きていく勇気をもらえる気がするのである。

したがって、私は、聖書を愛読する。

だが、アモスらは旧約の預言者である。
日本のキリスト教の多くは、旧約をろくに読まない人も多いらしいし、社会正義には無関心なクリスチャンも案外多くいて、その点では別に仏教とさほど変わらない場合も多いのかもしれない。
私が仏典よりも聖書を日頃愛読するとすれば、その理由の大きな一つは、旧約、特に十二小預言書なのだと思う。
したがって、ろくに旧約や十二小預言書を読まない一般的なキリスト教は、やはり同様にさほど心惹かれないし興味が持てないものではある。

恵みは海の波のように : イザヤ書の一節

イスラエルの聖なる神
あなたを贖う主はこう言われる。
わたしは主、
あなたの神
わたしはあなたを教えて力をもたせ
あなたを導いて道を行かせる。

わたしの戒めに耳を傾けるなら
あなたの平和は大河のように
恵みは海の波のようになる。

あなたの子孫は砂のように
あなたから出る子らは砂の粒のように増え
その名はわたしの前から
断たれることも、滅ぼされることもない。 」
イザヤ書 第四十八章 十七~十九節)


昨夜、寝つけずにイザヤ書を読んでいたら、この言葉がとても心に響いた。

以前も読んだことがあるはずなのだが、さっぱり覚えていなかったが、今回は特別な言葉として心に響いた。

こういう言葉が聞きたかったのだと思う。
ありがたい言葉である。

 

(5/12記す)

Aさんの御話

先日、Aさんという方の御話を聞いた。

とても感銘深い話だった。

忘れないように、以下に簡単にメモを記したい。

不正確なところや十分に記せていないこともあるかと思うが、それはひとえにAさんではなく、私の責任である。

 

―――――

 

自分は、小さい頃、たまたま父に連れられてアウシュヴィッツに関する展示を見に行き、そこに「120センチバー」というものがあったのを見て、とても衝撃を受けた。

それは、収容所に到着した人たちの中で、子どもは労働力にならないので、まず120センチ以下の身長の子どもを選別し、すぐにガス室送りにするためのものだった。

 

それ以来、生とは何か、死とは何か、いのちとは何か、ずっと考えてきた。

 

その後、ある時、たまたま、ある方のことを知るようになった。

その方とめぐりあったのは、実はその方の生前ではなかった。

生前は一度も会ったことはなかったのだけれど、その方の御葬式ではじめて知った。

 

たまたま、他の方が連れて行ってくれて、ある死刑囚の方の御葬式に参列した。

今までは一度もその御名前を他の場所で言ったことはないけれど、ここでは挙げたいと思う。

長谷川敏彦さんという、保険金殺人事件等で、三人の方を殺害し、死刑判決を受けた方で、2001年、死刑が執行された方だった。

 

その長谷川さんの御葬式に、殺された側の、被害者の方の御兄さんにあたる方が来ておられて、死刑制度の廃止を訴えていた。

 

それを見て、被害者の御遺族の方が、加害者の葬式に参加し、しかも死刑制度の廃止を訴えるということに、大きな衝撃を受けた。

 

その後、いろんな方の御話を聞き(ということで、その御話の中ではそのことも述べられていたが、割愛させていただく)、先日、十数年ぶりに、長谷川さんのお墓詣りにも行ってきた。

 

それで、その中で、自分が思うようになったのは、

 

“死とは、誰かの心に残り、そして伝わっていって、

主に立ち帰らせてくれる。“

 

ということだった。

 

死とは、単なる滅びや消えてなくなるものではなく、誰かの心にのこり、そしてそこから伝わっていって、私たちを、神様に立ち帰らせてくれる、

 

そういうものだと今は思うようになった。

 

――――

 

大略、以上のような御話をされて(本当はもっと胸を打つ深い内容のものだったが、私のまとめる力が不十分なので大略だけになってしまったが)、そして、「花彩る春を」という讃美歌を紹介されていた。

 

その讃美歌は、私ははじめて知ったのだけれど、本当に胸を打つ内容のものだった。

 

 

 

「讃美歌21」 385番 「花彩る春を」

 

1 花彩る春を この友は生きた、

  いのち満たす愛を 歌いつつ。

  悩みつまずくとき、この友の歌が

  私をつれもどす 主の道へ。

 

2 緑もえる夏を この友は生きた、

  いのち活かす道を 求めつつ。

  悩みつまずくとき、この友のすがた

  私をふりかえる 主の道で。

 

3 色づきゆく秋を この友は生きた、

  いのち 他人のために 燃やしつつ。

  悩みつまずくとき、この友は示す

  歩みつづけてきた 主の道を。

 

4 雪かがやく冬を この友は生きた、

  いのちあたためつつ やすらかに。

  この日、目を閉じれば 思いうかぶのは

  この友を包んだ 主の光。

 

 (コヘレト12:1~2 ルカ2:25~38 

  詩71:18~19,119:9)

 

 

その御話を聞いたあと、私も、長谷川敏彦さんについて書かれた本を読んでみた。

 

大塚公子著『「その日」はいつなのか。―死刑囚長谷川敏彦の叫び』(角川文庫)という本で、長谷川さんが死刑執行になる以前に書かれた本だが、獄中でキリスト教に深く帰依されたことや、事件に至るまでの過程、またその後のことが書かれて、深く考えさせられた。

 

もう一冊、その御遺族の方、被害者の御兄さんにあたる方が書いた本があるという。

今度読んでみようと思う。

 

 

 

 

大塚公子 「 「その日」はいつなのか。―死刑囚長谷川敏彦の叫び」を読んで

大塚公子『「その日」はいつなのか。―死刑囚長谷川敏彦の叫び』(角川文庫)を読み終わった。

2001年に刑が執行された、長谷川敏彦さんについてのノンフィクションである。

 

長谷川さんは、保険金殺人で二名、別件で一名を殺害し、死刑判決を受けた。

たしかにまぎれもなく重い罪だが、この本を読むと、「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」、なんらかの条件があれば、人はどのような振る舞いでもしてしまうものだ、という歎異抄の言葉を思い出さずにいられなかった。

 

長谷川さんは事業も順調で妻も子もいて、多くの友人もおり、もともとは至って幸せだったそうである。

しかし、ある時、スナックの経営を始めると、そこに暴力団関係者が恫喝にやってくるようになり、わずか四か月で店をたたむ。

その時に、暴力団関係者に借金をしてしまい、法外な利息によりあっという間に借金の額が雪だるま式に膨れ上がり、四六時中返済を催促されるようになった。

もともと持っていた財産は身ぐるみはがれ、必死に働いたがなお返済には到底及ばなくなった。

まともな思考ができない状況の中で、窮余の一策として共犯者と共に保険金殺人事件を二件行った。

しかし、それでも借金の全額には届かず、最終的にずっと自分を苦しめてきた暴力団員を殺害し、そこから犯行が露顕して逮捕され死刑判決を受けた。

 

獄中で長谷川さんは、深く自分の罪を反省し、キリスト教に深く帰依するようになったという。

そして、その心境をあるキリスト教雑誌に綴ったところ、多くのキリスト教の人々から手紙が来て、やりとりするようになったそうだ。

また、おささなじみの友人が一人、ずっと事件後も友情を保ち支え続けたという。

 

しかし、事件後、心痛のあまりか、長谷川さんの姉の一人は自殺。

その数年後、長谷川さんの大学生になっていた息子さんも自殺した。

長谷川さんの父親は、とても良いまじめな人だったそうだが、家族の悲劇を次々に味わった後、ほとんど晩年は家から外出することもない中、病気で亡くなったという。

 

長谷川さんは、贖罪の思いをこめて、絵を獄中で描き続けて、一度は個展も開かれたそうだ。

しかし、死刑が最高裁で確定すると、絵を描くことにも大きな制約が課せられるようになり、個展も二度と開かれなかった。

 

この本を読んでいて、考えさせられるのは、長谷川さんによって保険金めあてで殺害された被害者の兄にあたる野原さんという方の御話である。

野原さんは当初は当然のことであるが、長谷川さんに対して深い憎しみを抱いたが、百通以上の御詫びの手紙を、はじめは開きもしなかったが、やがて読むようになり、そして長谷川さんの家族や友人と会い、ついに長谷川さんとも面会する。

そして、死刑制度の廃止を訴えるようになり、長谷川さんの家族とも交流を続けたという。

 

この本は、長谷川さんの刑が執行される以前に書かれた本なのでそのことは載っていないが、野原さん(野原さんというのはこの本の中での仮名で本名は別だが)は長谷川さんの葬式にも参列したということを聞いたことがある。

 

しばしば、死刑制度は、被害者の遺族の報復感情を満たすためだとか、被害者の遺族の気持ちを考えれば死刑制度を維持すべきだという意見を聞く。

しかし、野原さんのように、被害者の遺族が死刑執行を望まず、死刑制度の廃止を主張しても、それとは関係なく死刑というものは執行されてしまうことを考えると、それらの理由は本当なのか、死刑制度とは何なのだろうと思わざるを得ない。

 

この本を読んでもう一つ印象深いのは、長谷川さんに対して聖書の差し入れを最初に行った弁護士の方や、手紙を出して交流するようになっていったクリスチャンの方がた(その中には死刑が確定すると親族以外面会できなくなるので長谷川さんと養子縁組をした方もいる)の、親身な優しさである。

世間的に言えば、忌まわしい大罪を犯した犯罪者に対して、親身なかかわりや、愛を示すそのあり方は、この冷たい世の中に、こんな人々もいるのかと脅かされるものがあった。

地獄に仏とは、まさにこのことだったろう。

 

本当は、もっと早くから、日ごろから、この社会が、そうした多くの善意や思いやりがはっきり示されている場であれば、事前に多くの悲劇を防ぐことができるのかもしれない。

長谷川さんは事件の前に暴力団の恐喝で苦しんでいた時に警察に相談に行ったが全く相手にされず、絶望して帰ったことがあったという。

その時に、警察なり、他の誰かが、もう少し親身になって適切な助言をすれば、あのような事件は起こらずに済んだのかもしれない。

 

そして、また、人を生かそう生かそうとするそうした善意や愛の積み重ねが、死刑という制度の前に冷酷に断ち切られることにも、暗澹たる思いがせざるを得なかった。

 

死刑制度を廃止し、無期刑を設定する方が、本当は良いのではないか。

この本を読んで、あらためてそう思わざるを得なかった。

 

 

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ミカについて その勇気に関して

旧約聖書の十二小預言書の中のひとつ、ミカ書に記されているミカについては、ほとんど何もわからない。

ミカ書とその中から一部引用しているエレミヤ書以外に何も伝えられていない。

ミカ書においても、モレシェトという田舎の出身だったことと、父親の名前が伝わっていないので、おそらくは単なる庶民であったことぐらいしかわからない。

 

ただ、ミカ書の中の言葉を通じて思うに、おそらく大変な熱血漢で、勇気ある人物だったのだろうなぁと思われる。

 

「しかれども、

我はエホバの御霊(みたま)によりて、

能力(ちから)身に満ち、

公義、および勇気うちに満ちれば、

ヤコブにその愆(とが)を示し、

イスラエルにその罪を示すことを得。」

(ミカ書 第三章 八節 文語訳)

 

たった一人ででも、勇気に満ちて、千万人ともいえども我往かんの気概に満ちて、社会の不正や腐敗を忌憚なく批判する。

そういう人物だったのだろう。

 

旧約聖書の中では、同じ十二小預言書のひとつの、アモス書もまたそのような勇気や正義に満ちた書物である。

アモスも、たった一人でも、大祭司を相手にしても、一歩も引かない人物だった。

 

歴史がずっと下れば、ルターが、ヴィッテンベルクやヴォルムスにおいて、教皇や皇帝の権威をも恐れず、たった一人でも断固として退くことなくみずからの所説を貫いたことは、近代的な個人の自立のひとつのメルクマールとしてよく指摘されることである。

 

時折、そうした人物が歴史上にはいる。

内村鑑三矢内原忠雄もまたそういう人物だったと思う。

 

ただ、そうした勇気ある人物は極めて稀である。

人の世においては、波風立てず、保身に生きた方がラクではあるし、そうでないと身がもたないと思う場合も多い。

多くの人が、さまざまな圧力や摩擦をおそれて、義や勇気というものをひっこめてしまう。

 

そうした人類の大半のあり方からした時に、やはりミカは、極めて稀な人であり、その光は非常に貴重なものに思う。

 

ミカがどのような人だったかほとんどわからないが、その稀な勇気に、何かしら時空を超えて、とてもなつかしいような、慕わしいものが感じられてならない。

 

ミカ書からは、ミカが多くの弾圧や、時には密告によって苦しい目にあったであろうことがうかがわれる。

エレミヤなどの預言者が受難の人生を歩んだように、詳しいことはわからないが、ミカもおそらく苦難の多い人生だったのだろうと思われる。

 

だが、人が本当に後世に伝えることができるのは、ひょっとしたら、勇気や気概というものだけなのかもしれない。

その他の多くのことは、情報としては伝わるけれど、それは本当は後世の人の心に伝わるものではなく、単なる形骸だけなのかもしれない。

本当に後世の人に生きたものとして伝わるのは、その人の生きた心というか、勇気や気概や義や愛や、そういうものなのかもしれない。

 

とすれば、ミカはほとんどわからないながらも、実は最も多くのものを、ミカ書を丹念に読む人には、伝えることに成功している人なのかもしれない。

なぜなら、時空を超えて、その稀なる勇気に心動かされ、匹夫をして立たしむるものがあるからである。