Mさんの告別式

昨日は、Mさんの告別式に参列してきた。

八十六歳だった。

 

Mさんは無教会主義のキリスト教の集会を長く主催されていた。

もともと秋月藩の武士の家系の方だったそうで、県庁に長く勤務されていた。

 

弔辞を、大学時代からの親友だった大阪の大きな病院の院長だった方と、かつて児童施設にMさんが勤務していた時にお世話になったという方と、Mさんによって夫婦そろって信仰に導かれたという集会の九十六歳の方と、Mさんのお孫さんの、四人が述べられていた。

聞きながら、Mさんは本当に幸せな人生だったのだろうなぁと思った。

 

Mさんの奥さんも本当に良い方で、今日は車椅子で来ておられたし、Mさんの娘さんとその旦那さんがまた本当に良い方で、Mさんに本当によく孝養を尽して最善の介護をされていたし、お孫さんも本当に良い御嬢さんで、なかなかこれほど仲睦まじい家族はあんまり今日日ない気もする。

 

また、もう何十年も前のことなのに、県庁時代に児童施設や養護施設の関連の仕事をしていた時にゆかりのあった方々が、感謝の思いから告別式に来会し、あるいは弔電を打って来ていたのは、本当に稀有なことだと思う。

 

信仰を通じた終生の友に多く恵まれていたことも、本当に稀有なことだったと思う。

 

Mさんは中学生の時に敗戦を迎えたそうで、世の中の価値観が一変する中で、矢内原忠雄が戦前・戦中・戦後と一貫して変わらないことを述べていたことに大きな驚きと感動を覚えたそうである。

それで、矢内原忠雄やその師であった内村鑑三の無教会主義キリスト教に共鳴するようになり、もともとはキリスト教には反発を覚え嫌っていたそうだけれど、回心してクリスチャンになったそうである。

大学生の時から無教会の集会に集うようになり、以後六十年間、ずっと集会に参加し、のちに主催されてきたそうだ。

 

外形的なことを言えば、質素な暮らしの、平凡な公務員だったかもしれないけれど、世にこれほど幸せな人生は、めったになかったのかもしれない。

それはきっと、キリストへの信仰というゆるぎない土台の上に、人生を歩み、築いていったからだったのだろう。

 

Mさんが老人ホームに入る時に、それまで面識のなかった私に、三谷隆正全集や矢内原忠雄全集や矢内原忠雄の『嘉信』の復刻版の全巻など、貴重な無教会主義キリスト教関連の書籍をたくさんくださった。

生涯かけて、しっかり読んでいきたいと思う。