今日は、T・Mさんのお別れの会があったので、母と参列してきた。
3月9日の夜に眠っている間に天に召されたそうで、93歳だった。
本当に柔和な品の良いかわいらしいおばあさんで、うまく表現できないが、私はTさんが大好きだった。
Tさんの御主人の父にあたる方が
内村鑑三の弟子で、戦前に聖書の研究会を始めたそうで、Tさんは長年その集会に参加され、その御世話をされ、無数の聖句を暗唱されていたようである。
私がお会いした時にはもう御主人は亡くなられていた。
あんまり多くをしゃべる方ではなく、いつもにこにこ柔和にされていて、そこにいるだけで心がなごむというか、存在だけで大きな意義のある方だった。
この二年ほどは施設に入居されていたが、その施設でコロナの
クラスターが発生し、Tさん自身もコロナに感染され、コロナ自体はほどなく完治したそうだが、その後に食欲がなくなってしまい、点滴で命をつなぎとめておられたようだが、このたび眠っている間に特に苦しむこともなくすーっと天に召されたそうである。
私には、直々に何冊か貴重な本を読んでくださいと手渡してくださったことがあった。
繰り返し大事に読みなおしていきたいと思う。
Tさんはあまり多くを語るわけではなかったけれど、以前一度、
イスラエルに行った時のことを御話してくださったことがあった。
こういう御話だったと記憶する。
イスラエルに行って、
エルサレムは自分にとってはあんまり印象に残らなかった、
しかし、近くの湖(
ガリラヤ湖)のほとりに行った時に、なぜか涙が一条すーっと流れたのが忘れられません…。
その御話を聞いた時に、何か非常に
尊いものに触れたような気がしたことが忘れられない。
Tさんは、今日聞くまで知らなかったけれど、若い時には今の
お茶の水女子大に合格して入学が決まっていたけれど、戦争で上京することができなくなり、学問を学びたいというその時の目的は達せられなかったそうである。
時代がもっと平和であれば、また違った人生を歩んでおられたのかもしれない。
Tさんのお子さん私は私が少しだけ知っている方々は皆親孝行な良さそうな方たちだったので、おそらくは恵まれた幸せな御一生だったのではないかと思われる。
しかし、本当に謙遜で柔和で、いつも本当にへりくだった素直な方だった。
昔のすぐれた大名の奥方や家老の奥方というのはこんな感じの人だったのだろうなぁとTさんを見ながらいつも思った。
ああいう本当の意味で品の良い貴婦人というのは、もう戦後の世代にはなかなか生まれえないのかもしれないなぁと思う。
棺を車に運ぶ時に、私も一端を担ったのだけれど、そのあまりの軽さに驚いた。
かろやかに天国にすでに旅立たれているからだと考えたいと思う。