ドラセナとカポックから教えられたこと

「ドラセナとカポックから教えられたこと」 

 

 今年、二種類の植物から教えられたことがあった。

 ひとつは、七月に買った花束の中に、花はない緑の葉っぱがついているだけの茎が一本あった。おそらくドラセナの一種だと思う。

他の花が全て枯れてしまったあとも、この緑だけはずっと枯れずにいた。枯れるまではと思って毎日花瓶の水を変えてあげていたら、なんと茎の断面から白い根が生えてきた。

根の数は増え続けて、すごい生命力だと感心していたら、そのうちに新しいきれいな枝も生えてきた。もうすぐ十一月というのに、今も元気である。

もうひとつは、カポックである。私の実家の庭にあるカポックの、枝を剪定して切ったものが、空のプランターに斜めに突き刺さっていて、それがなんと生きていて葉っぱがつき、成長していた。

そのプランターの中のカポックを、いびつな形なのでかわいそうに思い、根の途中から切り取って、私の家に持って帰り、鉢植えにしてみた。しかし、もともと斜めに生えていたため、まっすぐに茎を立てて植えてみたところ、すべての葉っぱが下を向く形になってしまっていた。これは元気に育たず枯れてしまうかと、かえってかわいそうなことをしたと、半ばあきらめながらしばらく水を定期的にあげつづけた。

すると、驚くべきことに、一か月以上経ったある時に、ふと気づくと、すべての葉っぱがきちんと上に向き直り、日光を浴びることができる形にいつの間にか姿を変えていた。また、根もきちんと生えたようで、生き生きと元気になっていき、新しい葉っぱも生えてきた。

このドラセナとカポックから、私は三つのことを学んだ。

一つは、生きようとする逞しさである。コロナウイルスのために世界中が困難な時期にあり、そのうえ政治は国内外ともに愚劣な事柄が目立つので、私自身ともすれば生きることに対してあきらめや倦怠を感じそうになることもあるが、このように逞しく生きねばと襟を正される思いがした。

二つめは、太陽があたりさえすれば、カポックのように葉っぱの向きは変わり、ドラセナのように新しい根や茎が生え、再び新しく生き直し、成長していくということである。神の愛に触れる時に、人の魂や人生もまた、新たな生きる力を得、新しく向き直っていくことができるのだと思う。

三つめは、神の愛というのは、いかなるものも捨てず、水をやり続け、慈しむようなものだと、あらためて思い至ったことである。神は、余ったパンくずをすら捨てない方である(マタイ十四の二十)。神は、傷ついた葦を折らず、消えかかった灯すら消さず、大切にしてくださる(イザヤ四十二の三、マタイ十二の二十)。

神の御心というのは、実のならぬ木や、いびつな木や、パンくずのようなものも、すべてもったいないと思って、決して捨ててはおかず、生かそうとするものなのだと思う。

主イエスのたとえ話の中に、三年も実がならないいちじくを切り倒そうとする主人を、園丁が止める話がある。園丁は言った。「ご主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。もし来年実を結べばよし、それで駄目なら、切り倒してください」(ルカ十三の八~九)。これは主イエスの人に対する御心そのものなのだと思う。

思えば、私自身が、なかなか実のならぬいちじくだった。花束の中の目立たぬドラセナや、いびつなカポックのようなものだった。余ったパンくずであり、くすぶる灯芯だった。しかし、神は根気強く、見捨てることなく、見守り、支え、導き、照らしてくださった。そのために、いまこうして、キリストを信じ、聖書を学ぶ身となっているのだと思う。そして、決して捨ててはおかぬ神の愛の御心に触れるうちに、いつの間にか、自分にも、植物を慈しむ気持ちがいくばくか、ほんの少し起こるようになったのだと思う。

 現代の社会は、ともすれば経済や効率優先で、落伍者や脱落者に冷たく、競争に勝ち残ることばかりを目指しがちである。しかし、神の御心は、あらゆる生命や人間に対し、その滅びることを決して望まず、「もったいない」と思い、なるべく生かそうとし、慈しみ大切に思うものである。そのような神の御心に触れる時に、私たちは自分自身も生きていけるし、他をも生かすことができるのだと思う。

 コロナウイルスは、社会の最も弱い部分を直撃した。女性の非正規雇用の失業者が他と比べて著しく多いなど、もともと日本社会が抱えていた構造的な不平等がコロナウイルスによって顕在化している。コロナウイルスで問われていることは、私たちのあり方の見直しなのだと思う。弱者切り捨ての社会のあり方は、神の御心に沿っていない。

逞しく生き抜くことと、神の愛に触れ続けることと、神の「もったいない」と思う御心に触れ、その御心に沿って生きること等、ドラセナとカポックを通して今年神が私に教えてくださったことに心から感謝したい。