第二テモテ 資料集 異訳対照

資料集 

 

Ⅰ、第一の讃美歌 不滅のいのち (第二テモテ1:9~10)

 

 

協会共同訳:神が私たちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、私たちの行いによるのではなく、ご自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにあって私たちに与えられ、今や、私たちの救い主キリスト・イエスが現れたことで明らかにされたものです。キリストは死を無力にし、福音によって命と不死とを明らかに示してくださいました。

 

新共同訳:神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。

 

共同訳:神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、ご自身の計画と恵みによるのです(エフェ2 8-9、ティト3 5参照)。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエススにおいてわたしたちのために与えられ(エフェ1 4参照)、今や、わたしたちの救い主キリスト・イエススの現われによって明らかにされたものです。キリストは死を滅ぼし(一コリ15 54-57、ヘブ2 14-15参照)、福音を通して不滅の生命を現してくださいました。

 

岩波訳

〔神は〕私たちを救い、

聖なる召しによって召して下さった、

私たちの行ないに従ってではなく、

御自身の意思(おもい)と恵みに従って。

〔この恵みは〕キリスト・イエスにある私たちに与えられた、

永遠の時以前から。

〔この恵みは〕今やあらわにされた、

私たちの救い主キリスト・イエスの顕現を通して。

〔キリストは〕一方で死を無力にし

他方で生命(いのち)と不死性を光のもとに導いた、福音を通して。

 

塚本虎二訳:神はわたし達をお救いになり、聖であらせようとしてお召しになった。それはもちろんわたし達の業によるのでなく、御自身の(選びの)計画と恩恵とによるのであって、永遠の昔すでにキリスト・イエスにおいてお定めになったわたし達の分であるが、いまわたし達の救い主キリスト・イエスの御降臨によってついに啓示されたのである。このお方は一方では死を滅ぼし、他方福音によって不滅の命を明るみに出されたお方であって、

 

前田護郎訳:神がわれらを救って、聖なる招きをもってお招きになったのでして、それはわれらのわざによらず、彼ご自身のおぼし召しと恵みによるものです。この恵みは永遠の昔からキリスト・イエスにあってわれらに賜ったものです。それは今やわれらの救い主キリスト・イエスの出現によって現実にされました。彼は死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅とを明らかになさったのです。

 

口語訳:神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。

 

新改訳2017:神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられ、

今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされました。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。

 

文語訳:神は我らを救い聖なる召をもて召し給へり。これわれらの行為に由るにあらず、神の御旨にて創世の前にキリスト・イエスをもて我らに賜いし恩恵によるなり。この恩恵は今われらの救主キリスト・イエスの現れ給うによりて顕れたり。彼は死をほろぼし、福音をもて生命と朽ちざる事とを明かにし給えり。

 

フランシスコ会:神はわたしたちを救い、また聖なる招きをもって招いてくださいましたが、これは、わたしたちの業によるのではなく、神ご自身の計画とその恵みによるのです。この恵みは、キリスト・イエスに結ばれているわたしたちに、永遠の昔から与えられ、今、わたしたちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされたものです。キリストは死を滅ぼし、福音によって不滅の命を明らかに示されました。

 

バルバロ訳:神が聖なるお召しによって私たちを救いそして召されたのは、私たちの行いによるのではなく、神のみ旨と恩寵による。その恩寵は、代々の前からイエズス・キリストにおいて私たちに与えられたもので、死を滅ぼし、福音によって命と不朽を輝かされた救い主キリスト・イエズスの現れによって、今明らかにされた。

 

柳生直行訳:われわれは救われて、かたじけなくも神のお招きにあずかる者となった。それは、われわれが何か善いことをしたからではなく、神御自身の恵みの計画に基づくことだったのである。その恵みは、永遠の昔から、キリスト・イエスとの結合を通してわれわれに与えらえているものなのだが、それが今、われらの救い主キリスト・イエスの出現によって、はっきりと示されるに至ったのだ。では、その恵みとは何か。それは、キリスト・イエスが死を滅ぼし、福音によって不死の生命(いのち)を目のあたり見せて下さった、ということである。

 

宮平望訳

神が私たちを救い、

聖なる招きによって呼び出したのは、

私たちの業によるのではなく、

御自身が恵みとして差し出したものによるのであり、

それはキリスト・イエスにおいて私たちに与えられた

永遠の昔からのもの、

今や明らかにされたもの、

私たちの救い主キリスト・イエスの輝きによって、彼は死を滅ぼし、

福音によって朽ちることのない命に光を当てました。

 

田川健三訳:神は我らを救い給うた方、聖なる召しによって、我らの業績の故ではなく御自身の計画と恵みによって、我らを召し給うた方。恵みは、キリスト・イエスにおいて、此の世の時よりも前に我らに与えられたもの。その恵みが今や我らの救済者キリスト・イエスの顕現によって明らかとなった。キリストは死を無効にし、福音によって生命と不滅とを輝かせて下さった。

 

岩隈直訳:彼(神)はわたしたちを救い、聖なる召しによって召し給うたが、それはわたしたちのわざによるのでなく(神)御自身の計画と恩恵によるのである。それ(恩恵)は永遠の昔にクリーストス・イエースースにあってわたしたちに与えられたものであるが、今わたしたちの救い主イエースース・クリーストスの出現によってあらわされたものである。彼(イエースース・クリーストス)は、一方において死を滅ぼし他方において福音によって命と不朽とを明らかにされた。

 

9 τοῦ σώσαντος ἡμᾶς καὶ καλέσαντος κλήσει ἁγίᾳ, οὐ κατὰ τὰ ἔργα ἡμῶν ἀλλὰ κατὰ ἰδίαν πρόθεσιν καὶ χάριν, τὴν δοθεῖσαν ἡμῖν ἐν Χριστῷ Ἰησοῦ πρὸ χρόνων αἰωνίων,

 

10 φανερωθεῖσαν δὲ νῦν διὰ τῆς ἐπιφανείας τοῦ Σωτῆρος ἡμῶν Ἰησοῦ Χριστοῦ, καταργήσαντος μὲν τὸν θάνατον φωτίσαντος δὲ ζωὴν καὶ ἀφθαρσίαν διὰ τοῦ εὐαγγελίου.

 

9 tou sōsantos ēmas kai kalesantos klēsei hagia, ou kata ta erga hēmōn alla kata idian prothesin kai charin, tēn dotheisan hēmin en Christō Iēsou pro chronōn aiōniōn,

 

10 phanerōtheisan de nun dia tēs epiphaneias tou sōtēros hēmōn Christou Iēsou, katargēsantos men ton thanaton phōtisantos de zōēn kai aphtharsian dia tou euangeliou.

 

 

 

 

Ⅱ、第二の讃美歌 主の真実 (第二テモテ2:11~13) 

 

協会共同訳

次の言葉は真実です。

「私たちは、この方と共に死んだのなら

この方と共に生きるようになる。

耐え忍ぶなら

この方と共に支配するようになる。

私たちが否むなら

この方も私たちを否まれる。

私たちが真実でなくても

この方は常に真実であられる。

この方にはご自身を

否むことはできないからである。」

 

新共同訳

次の言葉は真実です。

「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、

キリストと共に生きるようになる。

耐え忍ぶなら、

キリストと共に支配するようになる。

キリストを否むなら、

キリストもわたしたちを否まれる。

わたしたちが誠実でなくても、

キリストは常に真実であられる。

キリストは御自身を

否むことができないからである。」

 

共同訳

次の言葉は真実です。

「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、

キリストと共に生きるようになる(ロマ6 2-5、8参照)。

耐え忍ぶなら、

キリストと共に支配するようになる(ロマ5 17、8 17、エフェ2 6、黙示5 10、22 5参照)。

キリストをいなむなら、

キリストもわたしたちをいなまれる(マタ10 33、ルカ12 9参照)。

わたしたちが誠実でなくても、

キリストは常に誠実であられる(ロマ3 3-4参照)。

キリストはご自身をいなむことができないからである」。

 

岩波訳

この言葉は信に値する。

私たちは〔キリストと〕共に死んだなら、

〔キリストと〕共に生きもするだろう。

私たちは耐え忍ぶなら、

〔キリストと〕共に王国的支配もするだろう。

私たちが〔キリストを〕否むなら、

彼もまた私たちを否むだろう。

私たちが忠実でなくても、

彼は忠実であり続ける。

自身を否むことができないから。

 

塚本虎二訳:(キリストの復活についての)今の言葉は本当である、すなわち――「なぜなら、もしわたし達が(キリストと)一しょに死んだら、一しょに生きる。もしわたし達が耐え忍ぶなら、(キリストと)一しょに王となる。もしわたし達が(キリストを)否認するなら、このお方もわたし達を否認される。たといわたし達は不誠実であっても、このお方はいつも誠実である。御自分(の言葉)を否認することはお出来にならないのだから」。

 

前田護郎訳:信ずべきはこのことばです。――「われらは彼とともに死ねば、共に生きよう。彼とともに忍べば、共に王になろう。彼を否めば、彼もわれらを否もう。われらがまことならずとも、彼はつねにまことにいます、彼は自らを否みえないから」。

 

口語訳:次の言葉は確実である。

「もしわたしたちが、彼と共に死んだなら、また彼と共に生きるであろう。

もし耐え忍ぶなら、彼と共に支配者となるであろう。もし彼を否むなら、彼もわたしたちを否むであろう。

たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである」。

 

新改訳2017

次のことばは真実です。

「私たちが、キリストとともに死んだのなら、

キリストとともに生きるようになる。

耐え忍んでいるなら、

キリストとともに王となる。

キリストを否むなら、

キリストもまた、私たちを否まれる。

私たちが真実でなくても、

キリストは常に真実である。

ご自分を否むことができないからである。」

 

文語訳

ここに信ずべき言(ことば)あり『我等もし彼と共に死にたる者ならば、彼と共に生くべし。

もし耐へ忍ばば、彼と共に王となるべし。もし彼を否まば、彼も我らを否み給わん。

我らは真実ならずとも、彼は絶えず真実にましませり、彼は己を否み給うこと能わざればなり』

 

フランシスコ会

次の言葉は真実です。

「わたしたちは、キリストとともに死んだのなら、

キリストとともに生きるようになる。

わたしたちは、耐え忍ぶなら、

キリストとともに支配するようになる。

わたしたちがキリストを否むなら、

キリストもわたしたちを否まれる。

わたしたちが誠実でなくとも、

キリストは常に誠実であられる。

キリストはご自身を否むことができないからである」。

 

バルバロ訳

すなわち、次のことばは信じるに足るものである。「私たちがキリストとともに死んだならまたキリストとともに生きるであろう。もし最後まで耐え忍ぶなら、私たちもキリストとともにその王国をつかさどる。もし否むならキリストも私たちを否まれる。私たちが不忠実であっても、神は常に忠実である。神がご自分を否むことはないからである」。

 

柳生直行訳

次の言葉は真実である。

「われわれは、彼と共に死ぬなら、

彼と共に生きることができる。

耐え忍ぶなら、

彼と共に支配する者となる。

彼を否むなら、

彼もわれわれを否むであろう。

だが、われわれは不実でも、

彼はつねに誠実である。

彼は本性上、不実たり得ないのだ。」

 

宮平望訳

この言葉は真実です。

「実に、もし、私たちが共に死んだのなら、共に生きるだろう。

もし、私たちが耐え抜くなら、共に王にもなるだろう。

もし、私たちが拒むなら、

その方も私たちを拒むだろう。

もし私たちが信じないとしても、その方は常に真実である。

かれは自分自身を拒むことができないからである。」

 

田川健三訳

この言葉は信実である、「もしも我々が共に死んだのであれば、共に生きるであろう。耐え忍ぶならば、共に王となるであろう。否定するならば、彼もまた我々のことを否定するだろう。我々が不信実であるとしても、彼は信実でありつづける。彼がみずからを否定することはありえない」、という。

 

岩隈直訳

この(次の)言葉は信じてよい、

というのは、もしわたしたちが(クリーストスと)一緒に苦しんだなら、わたしたちも一緒に生きるであろう。

もしわたしたちが忍耐するなら、わたしたちも一緒に王になるであろう。

もしわたしたちが(クリーストスを)否認するなら、彼もまたわたしたちを否認し給うであろう。

たとえわたしたちが不信実であっても、彼は信実であり続け給う、というのは、彼は自分を否認することができないのだから。

 

11 πιστὸς ὁ λόγος · εἰ γὰρ συναπεθάνομεν, καὶ συζήσομεν ·

12 εἰ ὑπομένομεν, καὶ συμβασιλεύσομεν. εἰ ἀρνησόμεθα, κἀκεῖνος ἀρνήσεται ἡμᾶς.

13 εἰ ἀπιστοῦμεν, ἐκεῖνος πιστὸς μένει. ἀρνήσασθαι γὰρ ἑαυτὸν οὐ δύναται.

 

11 pistos o logos ei gar sunapethanomen, kai suzēsomen

12 ei hupomenomen, kai sumbasileusomen. ei arnēsometha, kakeinos arnēsetai hēmas

13 ei apistoumen, ekeinos pistos menei, arnēsasthai gar heauton ou dunatai.