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ETV・こころの時代 アレクシエービッチの特集「小さき人々の声を求めて」

先日、ETVのこころの時代であっていて録画していた、ロシアの作家のアレクシエービッチの特集の「小さき人々の声を求めて」という番組を見た。

http://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2017-04-09/31/14236/2008273/

 

アレクシエービッチは、2015年にノーベル文学賞を受賞した作家だそうだけれど、私は恥ずかしながら昨日犬養先生にその番組を勧められるまで名前もよく知らなかった。

 

番組では、アレクシエービッチと作家の徐京植が対談していた。

 

アレクシエービッチの言葉は、どれも非常に印象的な、深い言葉の数々だった。

 

大きな物語が見過ごしてしまう、小さき人々の声に耳を傾けることの大切さ。

そこから、自分自身と関係のあること、そして抵抗につながる何かが見つかること。

 

チェルノブイリと福島を見て、全体主義国家であれ資本主義国家であれ、どこでも国家は似たようなものだと思った、ということ。

国家は人の命をほとんど守ってくれず、最低限のことしかしてくれない。

国家も役人も自分たちを守るので精一杯で、国民を救うという気持ちはほとんどないこと。

 

そして、日本には「抵抗の文化」があまりにもない、という指摘。

 

福島の、原発事故後に自殺した酪農家の方の納屋の壁に記されていたという「原発さえなければ」という文字。

 

などなど、とても心に響く内容だった。

 

また、大学生が「どうすれば絶望から逃れることができるか?」という質問をしたのに対し、

 

「人が生きていく中では、たとえ大禍なく過ごしたとしても、「人間であり続けること」は難しいものである。

しかし、苦しみの経験は、人を強くしてくれると思う。

若いあなたに言えることは、丹念で孤独な「人間であり続ける」という作業は、自分しかできないということ。

大切なのでは、この世界で、「人間であり続けること」です。」

 

という意味の答えをしていて、深い言葉だなぁと思った。

 

また、番組の最後に、「もし最後の審判があるならば、小さき人々こそが神の御前に証人として立つと思う。」「小さき人々をこそ私は信じる。」ということを述べていたのにも胸を打たれた。

 

邦訳も何冊か出ているそうなので、いつか読んでみたいと思う。

それにしても、アレクシエービッチが「日本には抵抗の文化があまりにも乏しい」と指摘していたのは、耳に痛いことだった。

本当はかつて、それこそ、上野英信たちがやっていたことは、アレクシエービッチと同じ問題関心で、小さき人々の声に耳を傾けて、抵抗の文化を築いていくことだったのだろうけれど、はたしてそれが今日どれだけ受け継がれ豊かに強くされているかどうかは、たしかに厳しく問い直される時代なのだろうと思う。