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雑感 信仰について

自分は、どうも信仰の点で、あやふやと思う。
どのような点であやふやなのかというと、つまり、神は本当に最善をなすのか、最善をなすことができるのか、という点である。

書けばなんともはや恐ろしいことだが、その点がどうしてもひっかかる。

もし神が本当に愛の神であり、全知全能であるならば、必ず最善をなすはずである。

しかるに、どうしてこの世には、とても最善とは思えない、悲惨なことや不条理な悲しみが存在するのだろうか。

その答えとして考えられるのは、

1、神は最善をなしていないか(つまり愛の神ではないか)、
2、神は最善をなすことができないか(つまり全能ではないか)、
3、あるいは人の目には最善と見えなくても実は最善をなしているのか、

の三つが考えられる。

しかし、1は、私は考えられない。
というのは、神は愛だということは、イエスの生涯を通じ、また聖書を通じて、私にでも感得できるからである。

とすると、2か3であろうか?
しかし、2とすると、この世はいったい何なのだろうか。神とは何なのだろう。
また、3とすると、なぜ、そのようなことをするのだろうか?人の目になぜすぐに見せないのだろうか。

思うに、2と3の問題で納得がいくためには、時間の概念を導入するしかないのかもしれない。
あるいは、神に自己否定の概念を導入するしかないのかもしれない。

つまり、神は全能だが、人間の自由意志を尊重するゆえに、人間の自由意志を尊重した上で、歴史の中で少しずつ自らの意志を現すと。

そう考えると、少し納得がいくような気もする。

結局のところ、人間は、神が愛の神でありまた全能の神であることを信じ、最善がやがて実現するはずだと信じていくのが良いのだろうか。

 

そして、信仰というものは、神と自分との一対一のことであり、その体験や歴程は一般化できないことなのかもしれない。ゆえに、自分自身の実存をかけて、体験を積み重ねていくしかないことなのだろう。