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ミカ書を読む 資料

『「ミカ書」を読む ―勇気と希望』        

 

Ⅰ、はじめに

Ⅱ、第一部 「審判と解放」 

Ⅲ、第二部 「偽りの指導者たちへの告発、メシアの約束」

Ⅳ、第三部 「暗闇の中の希望の光」

Ⅴ、おわりに

 

 

Ⅰ、はじめに

 

ミカ書:十二小預言書のひとつ。ベツレヘム預言で有名。南ユダで活躍した預言者ミカの言葉を集めたもの。エレミヤ書にも引用され、当時および後世において強い影響力を有したと考えられる。全七章。

  

・ミカとは誰か?:モレシェトの人。父の名が伝わらないので、おそらくは貧しい庶民。モレシェトは、エルサレムから西南約34キロの田舎の小さな村。

 

・ミカはBC8世紀前半、おそらくBC735ないし725~700年頃、南北分断期の南ユダ王国において活動した。北イスラエル王国がアッシリアによって滅ぼされ、南ユダ王国も風前の灯火となった時代だった。

 

・イザヤ(第一イザヤ)と同時代の人。貴族出身で神殿を中心に活躍し王に自由に面会できたイザヤとは対照的な経歴と考えられる。ミカとイザヤにほとんど同じ言葉(ミカ4:3、イザヤ2:4)があることから、おそらくは何らかの関わり、あるいは共通の理想を持ち、志を同じくしていたと考えられる。イザヤとミカは、南ユダ王国の滅亡の回避に尽力し、その奇跡的な生き残りを実現したと後世において受けとめられた。(列王記はイザヤの、エレミヤ書はミカのおかげだと受けとめている。) (参照:高橋将『預言者ミカ』)

 

 

歴史背景

※ アッシリアが世界帝国となり中東一円を席巻

 

BC721 サマリア陥落(北イスラエル王国、アッシリアによって滅亡)

BC701 アッシリアによるエルサレム包囲エルサレム周辺のラキシュやモレシェトなどの南ユダ王国の諸地域は蹂躙された。

  

※ただし、アッシリア軍が突如撤退したことにより、奇跡的にエルサレムは占領を免れた。

 

列王記下19:35「その夜、主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた。」

歴代誌下32:21「主は御使いを遣わして、アッシリアの王の陣営にいる勇士、指揮官、将軍を全滅させられた。王は面目を失って帰国し、その神の神殿に来たところ、自分の血を引く王子らによって剣にかけられ倒された。」

 

ヘロドトスの『歴史』巻二141節(岩波文庫版・上巻252頁)に、アッシリア王サナカボリス(センナケリブのこと)がエジプトを攻撃しようと軍を進めてきて、エジプト王が必死に神に祈ると、必ず助けるので安心して勇気をもって反撃せよという神託が下り、寄せ集めの軍隊でエジプト王がアッシリア軍を迎え撃つために出撃していくと、ネズミの大軍がアッシリア軍の陣地を攻撃し、アッシリア軍は壊滅し撤退していったという記述あり。

⇒ ネズミによるペストかコレラの蔓延により、アッシリア軍が大打撃を受けて撤退したか?

(ただし、アッシリアの石碑にはラキシュ陥落のことは書かれているが、損害については記されず。)

 

※ ヒゼキヤ王の時代の、この奇跡的なエルサレムの危機回避は、のちの時代において、ミカの預言とそれを聞きいれたヒゼキヤ王のおかげだと受けとめられた。

エレミヤ書:26:17~19

「この地の長老が数人立ち上がり、民の全会衆に向かって言った。

「モレシェトの人ミカはユダの王ヒゼキヤの時代に、ユダのすべての民に預言して言った。『万軍の主はこう言われる。シオンは耕されて畑となり/エルサレムは石塚に変わり/神殿の山は木の生い茂る丘となる』と。

ユダの王ヒゼキヤとユダのすべての人々は、彼を殺したであろうか。主を畏れ、その恵みを祈り求めたので、主は彼らに告げた災いを思い直されたではないか。我々は自分の上に大きな災いをもたらそうとしている。」」

    

 

 ミカ書の特徴 

 

① 「貧富の格差等に関する社会への率直な批判および先行する諸預言者の思想の総合」

ミカは、アモスやホセアの少し後の時代の人物であり、北イスラエル王国において活躍したこの二人の預言者の影響を強く受けていたと考えられる。実際、アモスと同様に、貧富の格差を批判し、社会正義を強く求めている。また、ホセアのように慈しみを強調している。また、イザヤと同じく、神に対する謙遜を主張している。ミカ書は全七章と短いが、アモス・ホセア・イザヤの義と愛と聖の三つを継承し、総合している(ミカ6:8)。

 

② 「具体的なメシアの預言」

アモスやホセアが、それぞれ最終章で将来における救いや回復を説いてはいるものの、はっきりとメシアの到来を預言しているわけではないのに対し、ミカは明確にメシアがベツレヘムに現れることを預言し(ミカ5:1)、しかも罪の最終的な解決を預言している(ミカ7:19)。第一イザヤもインマヌエル預言を行っているが、インマヌエル預言が当時においてはヒゼキヤのことと受けとめられた可能性があり、また抽象的なのに対し、明確に一般的な王とは無関係な寒村のベツレヘムにメシアが誕生するという具体的預言を行っている。

 

③ 「奇跡的な国難回避の実現」

アモスとホセアが、北イスラエル王国の滅亡を回避できなかったのに対し、ミカとイザヤは南ユダ王国の破滅を回避し未曾有の危機を実際に救った点に特徴がある。

 

④ その他

内村鑑三は、ミカ書の4:3を自らの非戦論の根拠とし、戦争反対と平和を説き続けた。

矢内原忠雄はミカの勇気に特に着目し、戦時中に特別に詳細な講義を行っている。

 

※ ミカ書を読み解くためのポイント

 

1、登場する地名・固有名詞における言葉遊びの理解

ミカ書の第一章では、特に地名の固有名詞が連発され、しかもそれが一種の言葉遊び・駄洒落、諷刺や諧謔をなしている。これが現代日本人の私たちには非常にわかりづらいが、これらを丁寧に調べて理解すれば、ミカのユーモアと言いたいことが理解できる。

 

2、ミカ書が何を批判しているのかを理解する

ミカ書は単にメシア預言の書というだけではない。ミカが当時の南ユダ王国の貧富の格差や堕落に憤り、社会正義を希求し勇気をもって命がけで格闘した人物であることを理解すると、ミカ書が何を言っているのかわかりやすい。アハズ王(ヒゼキヤの父)の時代の偶像崇拝や堕落と命がけで対決したという背景文脈を理解することが重要である。

 

3、ミカ書は希望の書

ミカは、アモスやホセアら他の預言者たちと同様に、人々の精神的な堕落や偶像崇拝を批判し、おそらく彼らと同様の苦難を味わったと考えられる。しかし、ミカ書は暗さや深刻さ以上に、希望が溢れている。ミカ書には、メシアが未来に現れることについての具体的で明確なビジョンと理想があり、そのことがミカ書に明るさと生命力を与えている。

 

⇒ ミカの勇気と明確な希望のビジョンが、奇跡的な国難回避を実現し、その後の時代の人々も鼓舞し続けた。

⇒ ミカ書の理解の鍵:ミカ書の「勇気と希望」に繰り返し耳を傾ける。

 

※ 「ミカ書の構成」

 

第一部 「審判と解放」 1章~2

第二部 「偽りの指導者たちへの告発、メシアの約束」 3~5章

第三部 「暗闇の中の希望の光」 6~7章

 

・ミカ書は、三部構成で、それぞれの中に審判と救済の預言が交互に述べられる三重構造と見るとわかりやすい。

Ⅱ、第一部 「審判と解放」 1章~2章 

 

※ 1:1 「題辞

ヨタム(BC750~735)、アハズ(BC735~715)、ヒゼキヤ(BC715~687):南ユダの王。

列王記によれば、ヨタムとヒゼキヤは主の目にかなう正しいことを行ったが、アハズは偶像崇拝を行い、「自分の子に火の中を通らせることさえした。」(列王記下16:3)

ミカは、アハズ王の統治下での偶像崇拝や道徳的堕落、貧富の格差と格闘したと考えられる。ヒゼキヤは、ミカやイザヤの言葉を受け入れ、宗教改革を行い、主に立ち帰った。

 

モレシェト:モレシェト・ガトのこと。エルサレムから西南約34キロの低地の田舎の小さな村。当時、その地域の人々は、農耕や牧畜で生活していたと考えられる。現在のテル・エル・ジュデーデ。

  左:モレシェト 右:ミカの墓

ミカ:「誰がヤハウェのようであろうか」の意味。ミカ7:18でこの名前の意味の言葉が効果的に使われる。

 

※ 1:21:16 「神の審判」:(掛け言葉による痛烈なアイロニー

 

1:2 文語訳「万民よ、聴け。地とその中の者よ、耳を傾けよ。主エホバ、汝らにむかいて証を立てたまわん。すなわち、主その聖殿より、これを立てたもうべし。」

⇒ 主が人の証人となる。一般的に、信仰のある人が、その信仰の証人となることはよく言われるが、実は人間の行為について、主も証人となるということ。

⇒ 主の審判が下る。具体的には、アッシリア軍の襲来という形。

 

1:5 口語訳「これはみなヤコブのとがのゆえ、イスラエルの家の罪のゆえである。ヤコブのとがとは何か、サマリヤではないか。ユダの家の罪とは何か、エルサレムではないか。」

新共同訳「ユダの聖なる高台」=「ユダの家の罪」

 

1:7 「淫行の報酬」=岩波訳「その諸々の[淫行]の像」

「遊女の報酬」=岩波訳「淫行の報酬」

⇒ サマリアの陥落と破壊の預言。(参照:イザヤ29章、列王記下17章)

1:8 ミカの慟哭。嘆き悲しみ。

1:9 サマリア陥落の次は、エルサレムの危機であることの指摘。

1:10 「告げるな」:岩波訳脚注・七十人訳「あなたがたは自慢するな、自らを崇めるな」

「決して泣くな」:岩波訳脚注「むしろ泣き悲しめ」 

⇒ サマリア陥落を対岸の火事として眺めるエルサレムの人々への痛烈な皮肉か?

あるいは、「アッコで泣くなかれ」という訳もあり、アッコは「泣く」という意味で、これも掛け言葉という説もある(矢内原1984、212頁)。

ベト・レアフラ:「灰の家、塵の家」という意味。そこで「灰の中を転げ回れ」(岩波訳)と言うのは、掛け言葉となっている。

 

1:11

関根訳「シャフィルの住民よ、角笛(※ショファル)を吹け。」→掛け言葉?

岩波訳「立ち去れ、シャフィルの住民よ、裸で恥をさらしたまま」→シャフィルは「美人」という意味で、美しい女性が奴隷となって裸で恥を露わにして引かれることを掛け言葉で表現しているという説もある(矢内原前掲)。

岩波訳「出ていくな(※ヤーツァー)、/ ツァナンの住民よ」

ベト・エツェル:岩波訳脚注「取り去る、取りのけておく」の意味と推測。支えが「奪われた」(取り去られる)と掛け言葉となっている。

 

1:12 マロト:「苦い」という意味。

「待っていたが」:同じ語根で「苦しみもだえる、わななく」という意味がある。

⇒ 幸いを待っていたが、マロト(苦い)の住民は苦しみもだえる、というアイロニー

 

1:13 岩波訳「戦車を軍馬につなげ」=「ラレケシュ」、ラキシュと掛け言葉。

ラキシュは偶像崇拝の拠点だったらしい。

ラキシュ陥落を描いたアッシリアレリーフが現存する。

 

1:14 フランシスコ訳「それ故、お前は手切れの品を、モレシェト・ガトに与える。」

フランシスコ訳脚注:「戦いの危機(アッシリアの侵入)に直面して、ユダは自分の領土であった「モレシェト・ガト」を敵の手に渡した。」

⇒ 国境付近の地域を、見捨てて、その地域の人々が棄民となったことか。

アクジブ:アクザブ(欺きの泉、水が無くて人を欺く谷川) 掛け言葉

 

1:15 岩波訳「征服者がアドラムに達するまでだ、イスラエルの栄光が[がもつの]は。」

アド・オラム(とこしえに)をもじって皮肉った表現か。

1:16 髪の毛を剃り落す:喪に服す時の当時の習慣。(アモス8:10)

※ 2:12:5 「無法な金持ちたち」

 

2:2 フランシスコ訳「彼らは、土地が欲しければ強奪し、家屋をも奪い取る。人とその家、人とその相続地を略奪する。」

⇒ 貧富の格差の拡大。⇒2:3 審判 ⇒2:5 くじ・縄による土地分配(民数記26章)の消滅。貧富の格差の拡大、不正の拡大により、富者の依拠する社会・国家そのものが消滅。

 

※ 2:62:11 「ユダの混乱」

2:6~9 フランシスコ訳

「「預言するな」と言いながら、彼らは熱狂的に預言する。

「そんなことについて預言するな、われわれが辱めを受けるはずがない。ヤコブの家は呪われているのか、主は気が短いのか、そんなことを主がなさるのか」。

私の言葉は正しく歩む人にとって益とならないのか。

お前たちは、わたしの民に対して敵として立ち上がった。お前たちは温和な人からマントをはぎ取る、戦いをやめて安らかに過ごしている人々から。

お前たちはわたしの民の女たちをその居心地のよい家から追い出し、子供たちから、わたしの誉れを永久に取り去る。」

 

2:6~9 口語訳「彼らは言う、「あなたがたは説教してはならない。そのような事について説教してはならない。そうすればわれわれは恥をこうむることがない」と。

ヤコブの家よ、そんなことは言えるのだろうか。主は気短な方であろうか。これらは主のみわざなのであろうか。わが言葉は正しく歩む者に、益とならないのであろうか。

ところが、あなたがたは立ってわが民の敵となり、いくさのことを知らずに、安らかに過ぎゆく者から、平和な者から、上着をはぎ取り、わが民の女たちをその楽しい家から追い出し、その子どもから、わが栄えをとこしえに奪う。」

 

⇒ 預言・説教を禁止し、自分たちはたわごとを述べ、平和な人々を搾取し、戦争に追いやる上層階級や権力者たちやその御用預言者・御用知識人への批判。

⇒ 2:10 けがれのゆえに滅びる。審判の預言。 

 

2:11 フランシスコ訳

「ある人が風に吹かれてやって来て、そらごとを言う、「私はあなたにぶどう酒と人を酔わせる飲み物について告げよう」。その人こそ、この民の預言者なのだ。」

⇒ 人を酔わせるそらごと。(ex. アベノミクス日本会議?)

矢内原忠雄は、この箇所について、こうすればどっさり濃き酒やぶどう酒を飲める、大いに状態が良くなると言い、なんでもない時に危機を煽り、煽動することだと、満州事変や昭和の戦争を念頭において述べている。(矢内原前掲書、223頁)

※ 2:122:13 「復興の預言」

残りの者・羊・率いる主 

ヨハネ10:14「良い羊飼い」、詩編第23編

 

■ 第一部を全体を通しての学び 

社会の不正や貧富の格差に対して率直に批判するミカの勇気。おそらくは、アハズ王の統治下において、またヒゼキヤ王の初期においては、命の危険が数多あったことと思われる。

・それらの批判を、掛け言葉や駄洒落をこめながら行うことで、悲痛な中にもどこかしらユーモアと憎めないものが当時においては存在していたことが予想される。

・と同時に、「そらごと」や「たわごと」に対しては、それらを社会を滅ぼす「けがれ」として徹底的に対決していること。

・腐敗した社会にも必ず「残りの者」が存在し、その「残りの者」たちを率いる羊飼いがやがて現れるという希望。

  

 

Ⅲ、第二部 「偽りの指導者たちへの告発、メシアの約束」

 

※ 3:13:12 「指導者たちの罪」

3:1 口語訳「わたしは言った、ヤコブのかしらたちよ、イスラエルの家のつかさたちよ、聞け、公義はあなたがたの知っておるべきことではないか。」

⇒ 正義、公義を知っているはず、知っているべきはずの指導者たちが実際は・・・。

⇒ 3:2~3 善を憎み、悪を愛する。人々から皮をはぎ、骨から肉をそぐ。人々を食い物にする。 ⇒3:4 神は顔を隠す。助けを呼び求めても答えない。彼らの悪業のゆえに。

 

3:5 口語訳「わが民を惑わす預言者について主はこう言われる、彼らは食べ物のある時には、「平安」を叫ぶけれども、その口に何も与えない者にむかっては、宣戦を布告する。」

⇒ 何かを与えてくれるものに対して御用預言者・御用学者となり、腹を満たしてくれない者・利益にならない存在に対してはその権利や利益を踏みにじる。報酬によって預言を左右する。

⇒ 3:6~7 神は見捨て、そのもとを去り、一切答えなくなる。

 

 

 

3:8 文語訳

「しかれども、我はエホバの御霊(みたま)によりて、能力(ちから)身に満ち、公義、および勇気うちに満ちれば、ヤコブにその愆(とが)を示し、イスラエルにその罪を示すことを得。」

⇒ 矢内原忠雄は、この箇所をミカ書の「最大の宝」と述べている。(矢内原226頁)

⇒ ミカのような勇気を持った本当の信仰の人の登場を矢内原は求めた。

「我々を中心として宇宙が回転している。自分は宇宙の端にいるんではない。いわんや日本の国の端なんかにいるんではない。自分は日本の国の中心である、宇宙の中心である。自分の立っている所が宇宙の中心である。自分を中心として世界は回転している。だから世界がどんなに混乱に陥ろうが、どんなに変わろうが、私が立っている以上は宇宙は滅びない。私が立っている以上は日本の国は滅びない。本当に腹の底からそういう信念をもった人間が今の日本に一番必要であり、日本のみならず人類にとっても必要なんです。」(矢内原202頁)

 

⇒ 内容が偽りで空威張りしているものと、エホバの御霊・神の力がうちに溢れているのと、風と御霊の区別はどこにあるかということについて、矢内原は「罪を素通りし、罪をごまかすか、あるいは罪をごまかさないか」にあるとしている。(229頁)

 

3:9~11 まっすぐなものを曲げ、不正を行う指導者たち。賄賂や利益のための司法や預言。誤った楽観論。⇒ 3:12 審判・破滅の預言(エレミヤ26章)。

 

※ 4:14:14 「終りの日の約束」

 

4:1~2 もろもろの民は大河のように集い、エルサレムから御言葉が広がる。

4:3~5 文語訳

「彼、多くの民の間を裁き、強き国を戒め、遠きところにまでもしかしたもうべし。

彼らはその剣を鋤に打ちかえ、その鎗を鎌に打ちかえん。

国と国とは剣を挙げて相攻めず、また重ねて戦争(いくさ)を習わじ。

皆その葡萄の樹の下に坐し、その無花果樹の下に居らん。

これを懼(おそ)れしむる者なかるべし。

万軍のエホバの口、これを言う。一切の民はみな各々その神の名によりて歩む。しかれども、我らはわれらの神エホバの名によりて、永遠(とこしえ)に歩まん。」

 

⇒ 内村鑑三はこの箇所に依拠し、非戦論を説いた。

⇒ イザヤ2:4にほぼ同様の記事。カルヴァンらは、ミカに依拠してイザヤが引用の形で述べたと推測。

⇒「人々は地上の希少で価値がある材料を、殺戮を図るためではなく、いのちを養うために用いるようになる」(ウォルトキー『ティンデル聖書注解』200頁、Maysの言葉の引用)

⇒ ぶどうの樹・いちじくの樹=福音と律法?キリスト教と、キリスト教以外の、ユダヤ教や、自然の律法に部分的に一致した仏教やイスラム儒教や哲学などが、それぞれに自由に展開されることか?

⇒しかし、どの教えでも良いというだけではなく、永遠に歩むのは、ヤハウェの名の宗教であることが述べられている。

⇒ いずれにしろ、極めて平和的なイメージ。

 

4:6~8 弱い者・くじけた者・追い出された者が、呼び集められる。残りの者となり、エルサレムで主の統治が回復される。

 

4:9~10  陣痛=時代の生みの苦しみ。バビロン=未来のバビロン捕囚の預言と、「そこで救われる」「贖われる」という救済の預言。(バビロンについてはイザヤ39章。当時はアッシリアが覇権を持っていたが、バビロンも存在し、ヒゼキヤ王に見舞いを遣わしたりした。)

⇒ 4:12 ~13  ヤハウェの計画:娘シオンが強くなり、多くの国々を打ち砕くようになる。

 4:13 岩波訳「あなたは多くの民を粉々にする。あなたは、彼らの不正な利得をヤハウェに、彼らの富を全地の主に聖絶し献げ(させ)よ。」

⇒ 神の民が、世界の不正を正し、富を清めて、正しく使うようになる(べき)?

4:14 「頬を杖で打つ」 キリストの受難の預言?

 

 

※ 5:15:5 「メシアの預言・残りの者」

 

5:1  ベツレヘム預言 マタイ2:5、ルカ2:4、ヨハネ7:42

「永遠の昔にさかのぼる」 ヨハネ1:1、コロサイ1:17

  

5:3 メシアは群れを養い、その力は地の果てに及ぶ。

5:4 「七人の牧者・八人の君主」 七は完全数アモス書の三つ・四つと同じように、連続した数字は、次々に、ぐらいの意味か。

5:5 =エフェソ6:17「霊の剣、すなわち神の言葉」 

アッシリア=異教の国、サタンの霊に動かされた強い勢力

5:6 残りの者・主から降りる露・雨 申命記32:2

⇒ キリストのあとに、次々と現れ、キリストの言葉を露・雨としてそれぞれの時代にもたらしてくれた人々。

それらの人々は、人を頼りとせず、神をよりどころとした。

(ex. アウグスティヌス、ルター、内村鑑三矢内原忠雄、高橋三郎…)

 

5:7 残りの者=獅子、若獅子 

文語訳(5:8「ヤコブの遺(のこ)れる者の国々におり、多くの民の中におる様は、林の獣の中に獅子の居るごとく、羊の群れの中に猛き獅子の居るごとくならん。その過ぐるときは、踏みかつ裂くことをなす、救う者なし。」

口語訳(5:8~9「またヤコブの残れる者が国々の中におり、多くの民の中にいること、林の獣の中のししのごとく、羊の群れの中の若いししのようである。それが過ぎるときは踏み、かつ裂いて救う者はない。あなたの手はもろもろのあだの上にあげられ、あなたの敵はことごとく断たれる。」

⇒ 創世記3:15 新共同訳「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」

⇒ 残りの者は、決して隠れている弱い存在ではなく、獅子のように力強くサタン(蛇)と闘い、サタンを倒し打ち砕いていく存在。

 

5:9~10 その日が来れば、主は、軍馬を断ち、戦車を滅ぼす。砦を壊す。

⇒ パリ不戦条約、日本国憲法九条

5:11 口語訳(5:12)「またあなたの手から魔術を絶やす。あなたのうちには占い師がないようになる。」 ⇒ 現代社会で未だに霊感商法や占いは後を絶たない。非科学的迷信の除去。

5:12 ~14  偶像の根絶。現代における偶像:金銭、国家権力。倒錯が正されること。

 

■ 第二部を全体を通しての学び 

 

・主の霊と正義と勇気と力に満ちて、社会の不正義に対して立ち向かう勇気。

・絶対非戦平和の明確なビジョン。

ベツレヘム預言におけるメシア到来への明確な確信。

・残りの者は獅子のようにサタンと果敢に闘うというビジョン。また、そのような残りの者が次々に現れ、神の言葉をもって世の中を潤すこと。

・最終的には、偶像(倒錯)や非科学的迷信が除去され、軍備が除去され平和が来ること。

 

Ⅳ、第三部 「暗闇の中の希望の光」 

 

※ 6:16:16 「主の告発」

6:1~2  主がイスラエルを告発する。

 

6:3~5 口語訳

「わが民よ、わたしはあなたに何をなしたか、何によってあなたを疲れさせたか、わたしに答えよ。

わたしはエジプトの国からあなたを導きのぼり、奴隷の家からあなたをあがない出し、モーセ、アロンおよびミリアムをつかわして、あなたに先だたせた。

わが民よ、モアブの王バラクがたくらんだ事、ベオルの子バラムが彼に答えた事、シッテムからギルガルに至るまでに起った事どもを思い起せ。そうすれば、あなたは主の正義のみわざを知るであろう」。

 

6:4 岩波訳「まことに、わたしはあなたをエジプトの地から導き上り、奴隷の家からあなたを贖い出した。」 ⇒ 贖いの強調。(出エジプト20:2では「導き出した」)

6:5 出エジプトと入カナン。バラムの呪いからも守り、神の祝福に変えたこと。

⇒ 神の存在と生きた働きは、歴史的体験の想起によって確認される。(抽象的理論や抽象的信仰ではない。)

⇒ ローマ帝国キリスト教に変わったこと。江戸時代のキリシタン弾圧や戦時中のキリスト教への抑圧が、のちの時代には解放されたこと。などなど。

6:6~7  儀式や犠牲をヤハウェは喜ばない。ホセア6:6、アモス7:21~24

6:8 口語訳

「人よ、彼はさきによい事のなんであるかをあなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。」

⇒ 矢内原忠雄やATD旧約聖書註解は、この箇所を、アモスの義・ホセアの愛・イザヤの聖(謙遜)の三つの総合だと指摘している。

⇒ ただし、近年の研究では、「へりくだって」と従来訳されてきた箇所は、「思慮深く歩むこと」と訳すべきで、この語根の第一の意味は、「守る」「力づける」であり、人が「神とともに歩むことや、神のみこころを行うことにおいて、用心深くあり、注意深くある」べきことだとしている。(ティンデル注解、234頁)

⇒ 6:8 岩波訳

「人よ、何が善であるかはあなたに告げ知らされている。

ヤハウェは何をあなたに求めておられるのか。

公義を行い、/慈しみを愛し、/心してあなたの神と共に歩むことである。」

⇒ マタイ5:5~7 「柔和な人々」(へりくだった人、思慮深い人)、「義に飢え渇く人」(公義を行おうとする人)、「憐れみ深い人」(いつくしみを愛する人) 

 

6:9~12 不正、偽りの基準。cf. 偽装工事や詐欺。

6:13~16  オムリの定め・アハブのならわし偶像崇拝、貧富の格差)

6:13 フランシスコ訳脚注 「滅ぼし始める」=原文「心に病をもたらす」。

⇒ 徹底的な審判。恥辱。

⇒ かつての日本の軍国主義や傲りは、一度裁かれたはずだったが、またその「定め・ならわし」に返りつつあるのではないか…。

⇒ 審判は、物理的な制裁だけでなく、「心に病をもたらす」ことでもある。

 

※ 7:17:7 「民の腐敗」

 

7:1、2 文語訳

「我は禍(わざわい)なるかな、我のありさまは夏の果物を採る時のごとく、のこれる葡萄をおさむる時に似たり。食らうべき葡萄あること無く、わが心に嗜(たし)む初結(はつなり)の無花果(いちじく)あること無し。

善人地に絶ゆ、人の中に直き者なし。皆血を流さんと伏して伺い、各々網をもてその兄弟を狩る。」

⇒ アモスの第四の幻「夏の果物」(アモス8:1)。爛熟し、腐敗し、もはや食べることができず、初なりのいちじくや食べられるぶどうから程遠くなってしまったもの。

⇒ 「善人地に絶ゆ」ローマ3:10~12、詩14:3

7:3~4 報酬や私欲ばかりで動く指導者たち。⇒刑罰・大混乱

 

7:5、6 口語訳

「あなたがたは隣り人を信じてはならない。友人をたのんではならない。あなたのふところに寝る者にも、あなたの口の戸を守れ。

むすこは父をいやしめ、娘はその母にそむき、嫁はそのしゅうとめにそむく。人の敵はその家の者である。」

 密告?(ex. 東独、ソビエト。切支丹や戦時下の弾圧。)

⇒ 家族による信仰や信念の反対や撤回?

⇒ 7:7 人を頼りとせず、神を仰ぐこと。神が聞いて下さることへの信頼。

 

※ 7:87:20 「新しい約束」

 

7:8 新共同訳 

「わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。/たとえ倒れても、わたしは起き上がる。/たとえ闇の中に座っていても/主こそわが光。」

⇒ 私にとって、特別に力を与えてくれる、読むたびに心が震える聖句。

⇒ おそらく、ミカ自身に、大変な苦悩や挫折の体験があったことがうかがわれる。

⇒ 詩37:24、箴言24:16、詩27:1、イザヤ60:19~20、ヨハネ1:4~9、ヨハネ8:12

 

7:9 文語訳

エホバ、わが訴訟(うったえ)を理(ただ)し、わがために審判(さばき)をおこないたもうまで、我は忍びてその忿怒(いかり)をこうむらん。そは我(われ)これに罪を得たればなり。エホバついに我を光明に携えいだし給わん。しかして我エホバの正義(ただしき)を見ん。」

⇒ 矢内原忠雄:①自分も国民の一人として国民の罪を負う。②自分は義しいから怒を蒙る。義しい人が義しくない人の罪を負うということが救いの経綸。預言者は国民を代表して神に対する人。(矢内原274頁) ミカの罪とは、こういった意味か。

7:9 新共同訳「恵みの御業」=フランシスコ訳脚注:「救い」=「

7:9 関根訳ヤハウェの怒りをわたしは負う。/彼に罪を犯したから。/彼がわが訴えを裁き/わが義をつくり/わたしを光のもとに引き出し/彼の義をわたしが見るまで。」

 

7:12 エジプトからユーフラテスまで、海から海、山から山まで、人々はイスラエル一神教)のもとまで来る。

7:13 しかし、大地は住む者の行いの実によって荒れ果てる。

7:14~17 羊の群れの牧者への待望。出エジプトのような驚くべき業の約束。諸国の民はひれ伏し、主を畏れ敬うようになる。

7:18~20 罪の最終的な解決の展望:⇒ キリストの十字架の贖いによる救済

7:18 「あなたのような神がほかにあろうか」(ミーエルカモーハー)=ミカの名前と同じ意味の言葉。

「だれかあなたのように不義をゆるし、その嗣業の残れる者のために/とがを見過ごされる神があろうか。神はいつくしみを喜ばれるので、その怒りをながく保たず、再びわれわれをあわれみ、われわれの不義を足で踏みつけられる。あなたはわれわれのもろもろの罪を/海の深みに投げ入れ、昔からわれわれの先祖たちに誓われたように、真実をヤコブに示し、いつくしみをアブラハムに示される。」(ミカ7:1820 口語訳)

 

 

■ 第三部を全体を通しての学び 

 

・主の贖いによる救いのメッセージ(過去の出エジプトと未来のメシア)。

・神の命じる生き方は、義と愛と謙遜(熟慮)。儀式ではない。

・社会の不正やエゴや腐敗を批判し、人ではなく神をたのみとする生き方。

・倒れてもまた立ち上がる、主を光と仰ぐ信仰。

・自分や社会の罪をしっかり直視し背負いつつ、神が贖い救ってくれることへの信頼。

・最終的な罪の解決への展望。(十字架の福音)

・このような神は他にどこにもおらず、ヤハウェが唯一無二であることへの感謝と確信。

 

Ⅴ、おわりに 

 

◇ ミカ書の聖書全体の中での重要性

 

アモスやホセアの義・愛を継承しつつ、それらを総合し、さらにメシア到来の希望の光に照らしたこと。北イスラエル末期の預言を南ユダの預言につなぎ、さらに遠い未来への展望につないでいったこと。

・御霊に満ちて社会に対し果敢に対決する「残りの者」(獅子)の生き方を打ち出したこと。

絶対的な非戦平和のビジョンを打ち出していること。

・具体的にベツレヘムにメシアが現れること、そしてそのメシアが永遠の存在であり先在者であることを旧約聖書において明確に示し、新約の準備をしていること。

・南ユダ王国の未曾有の危機を実際に回避させたことにより、おそらくその後の歴史に決定的な影響を与えたこと。

仮に、紀元前701年の時点でエルサレムが陥落し南ユダ王国が滅亡していれば、同時期に滅亡した北イスラエル王国と十支族が完全に歴史から消滅してしまったのと同じように、ユダヤは消滅していた可能性がある。

もしそうであれば、旧約聖書やその伝承や信仰もほとんど滅び、一神教は地球上から消滅し、その後のユダヤ教はもちろんのこと、キリスト教イスラム教も存在しなかったかもしれない。

この時期にかろうじて南ユダ王国が保たれたことと、その百十年ほどのち(BC589~587)に南ユダ王国が滅亡し七十年ののちにバビロン捕囚から帰還した、この二つの歴史的出来事が非常に微妙な状況の中で奇跡的に存在したことによって、旧約聖書は成立し、一神教が確固たる基礎を持つようになったと言えると思われる。

 

※ ミカ書から考えたこと:

 

① 希望の重要性

 

・ミカは、社会正義の強調という点では、アモスの継承者であり、愛という点ではホセアの継承者であり、特になんらかの新しい思想的契機が存在しているわけではない。

その意味では、「結局ミカは我々の立場から見て思想史的に特に語るべきことがない。契約とか霊の問題を離れても、アモスの「義」、ホセアの「愛」、イザヤの「聖」に総括される大きな思想を我々はミカに見ないのである。」(関根正雄『古代イスラエルの思想』講談社学術文庫、2004年、369頁)という関根正雄の評価は、一面においては首肯できる。

・しかしながら、ミカにおいて特筆すべきことは、明確な未来に対するビジョンメシア到来への確固たるビジョンが存在し、そのために時にアモスやホセアを上回る勇気や確信や希望がみなぎっている点である。

・ミカが(イザヤとともに)、実際に南ユダ王国を変えてその危機を回避することができたのは、明確な希望のビジョンを持っていたことが大きかったのではないか。

人々は、ミカが持つ希望の光や力によって、その当時において変わることもできたし、後世もその明確な希望のビジョンに影響され続けたのではないか。

社会を変えるのは、義や愛とともに、明確な未来への希望とその確信ではないか。

 

② 無教会主義との関連

・儀式ではなく、神が命じる生き方としての義・愛・謙遜(熟慮)の実践を勧めている点で、ミカはホセア・アモス・ヨナらと同様に無教会主義の先駆者と言えると思われる。

また、非戦論の源流として、内村鑑三および無教会主義にとって最重要の預言者の一人。

 

③ 霊的な闘い

「残りの者」がサタンの勢力(アッシリア、ニムロデ)と霊的に闘うというテーマ・内容が、ミカ書を今回学んでいてミカ書の中に明確に脈打っていることを、今回気付かされた。

⇒ 次回は、イナゴの大群(御言葉を滅ぼそうとするサタンの勢力)と神の霊を直接受けた人々の戦いを描いた「ヨエル書」を取り上げる予定。

 

 

※ ミカ書 第七章八節  (個人的に最も好きなミカ書のことば)

 

 

アル・ティシュメヒー・オーヤブティリー・キー・ナーハールティ・ガーンーティ・キー・エシェーブ・バホーシェッフ・アドナイ・オールリー

 

「わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。

たとえ倒れても、わたしは起き上がる。

たとえ闇の中に座っていても

主こそわが光。」

 

(アル:否定、ティシュメヒー:喜ぶ、オーヤブティ:敵、ナーハールティ:倒れる、

ガーンティ:起き上がる、エシェーブ:座る、バホーシェッフ:闇の中、オール:光)

 

 

「参考文献」

 

聖書:新共同訳、フランシスコ会訳、関根訳、岩波訳、文語訳、口語訳、新改訳、英訳(NIV)、エスペラント語訳(La Sankta Biblio

ヘブライ語の参照サイト:Bible Hub (http://biblehub.com/

矢内原忠雄矢内原忠雄未発表聖書講義イザヤ書・ミカ書』岩波書店、1984年

ブルース・ウォルトキーほか著、清水武夫訳『ティンデル聖書注解 オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書』いのちのことば社、2006年

『ATD旧約聖書註解25巻 十二小預言書上』ATD・NTD聖書註解刊行会、1982年

山我哲雄『聖書時代史 旧約篇』岩波現代文庫、2003年

関根正雄『古代イスラエルの思想』講談社学術文庫、2004年

高橋将『預言者ミカ』東洋出版、1998年