とり・みきさんとヤマザキマリさんの御話

今日は、「心を掘り起こす」というテーマのシンポジウムに行ってきた。
教育心理学や考古学や建築が専門の研究者の方の御話もあってそれらも面白かったのだけど、漫画家のヤマザキマリさんととり・みきさんのトークが本当に面白かった。
ヤマザキマリさんはテルマエロマエを書いた方で、いまはとり・みきさんと二人でプリニウスが主人公の古代ローマものの漫画を描いており、その製作の御話や古代ローマの御話で、本当に楽しく、いっぱい笑わせていただいた。

質疑応答の時に、私も、「異なる時代や社会を描く時に、同じ人間として共感できてわかる部分と、今の日本とはかなり異なっていてわからないことや違和感を感じる部分とある思いますが、距離感の取り方で心がけていることがあったら教えてください」、と御二人に質問した。

すると、ヤマザキさんは、「自分は日本にとってもイタリアにとってもアウェイの、外側の人間と思っていて、今の日本でもおかしな全然共感できないことがいっぱいあるし、一方、古代ローマでも共感する部分もあるし、自分は今の日本と古代ローマ、というより、自分から見て、今の日本も古代ローマも共感できる部分もあれば共感できない部分もあると思っているので、基準の軸は自分です」、と答えてくださり、とても面白く、ためになった。

とり・みきさんは、そのあと、自分は答えなくていい、みたいな感じで流そうとされたので、すかさず私がもう一度マイクをとって、「私は昔、進研ゼミに載っていたとり・みき先生の『クレープを二度食えば』の大ファンでして、あの作品にもタイプスリップしてきた女の子と、わかりあえることと、時がずれているので微妙な違和感があるあたりが、繊細に描かれていた記憶がありますし、初期の頃からそうしたSF作品を描くことが多かったと思いますが、そうした時の違いによるずれみたいなことについて、どう思われているのか教えてください」と質問してみた。

すると、とり・みきさんも、「ありがとうございます」ととても喜んでくださり、そのうえで、「SFでは昔から言われていて、使い古されていることかもしれませんが、「価値の相対性」というテーマがあります。SFでは、タイムスリップしたり、違う星に行ったりして、自分が自明の前提としていた価値が全く通用しない状況に直面することと、しかし、その中でわかりあえる部分もある、ということがよく描かれます。自分では、今でも、この「価値の相対性」は心がけているし、意識しています。何か全然普通と違う結末を考えたり、自明の価値観をゆらがせたり、違うこととその中でわかりあえることと、何かを描く時に考えます。」という御話をされて、なるほどーっと思った。

他にも、考古学が専門の先生が、三内丸山遺跡は集落に入っていく通りの左右にはお墓があって、後世の日本は死体をけがれとして忌避したけれど、縄文時代は死んだ後も村の一員と考えてすぐ近くにいつも通るところに埋めて一緒に暮し、村落が移動する時はわざわざ骨をたくさん掘り起こして移動した先に埋葬し直した、という御話をしていて、それも面白かった。

なかなか貴重な、いろんな御話が聞けて、有意義なシンポジウムだった。

それにしても、子どもの頃に私が読んでいた漫画を描いていたとり・みきさんと、あれから二十数年経って、こうやって実物を見て、言葉も交わすとは、人の縁とは不思議なものである。
なんだかあたたかくて自由そうで楽しそうな、思っていた通りの方だったなぁ。
ヤマザキさんもとても素敵な方だった。
プリニウス』、これから全巻読むのが楽しみである。