1995年の思い出

阪神大震災から二十一年。

私は遠く離れた福岡に住んでる一高校生に過ぎなかったけれど、とても衝撃的だった。
当時、たまたま生徒会をやってたので、他のメンバーと一緒に、報道を聞いたわりと直後に、校内で募金をすることにした。
生徒や父兄からすぐに多くの寄付が集まって、三日後には五十万円以上が集まった。
それぐらいしかできなかったけれど、そのことを思い出す。

あの年、1995年は多くの出来事があった年で、阪神大震災の他にも、オウム地下鉄サリン事件や、フランス・中国の核実験や、イスラエルのイツハク・ラビンの暗殺や、戦後五十年不戦決議をめぐるごたごたや、沖縄の少女暴行事件があった。
どれも今も鮮明に覚えている。
フランス・中国の核実験の時は、高校の同級生とダンボールでプラカードをつくって、天神から西新のあたりを抗議のデモをほんの数人だけだったけれどやったことがあった。

あの時のいろんな出来事がなげかけたさまざまな課題を、はたしてその後、日本も世界も、きちんと取り組み解決することができたのかどうか。
全く何も前進がなかったとは思いたくないし、よく見れば何かしら前進や希望の芽もあったのかもしれないけれど、多くの課題が未だに未解決で、場合によってはさらに深刻になっている気もする。
自分自身、ちょうどその年、ゴルバチョフが来日して、講演を聞くことができて、「自分の時代の世界史的課題に脇道にそれずに取り組んで欲しい」というメッセージにとても感動した記憶があったものの、この二十一年を振り返ると、何をしてきたんだろうという気もする。

結局、出来事があっただけでは、必ずしも人の心も生き方も国のあり方も変わらず、それをどう受けとめて、どう生かすかなのだと思う。
そのためには、まずは忘れないことなんだろうと思う。