コーリー・テン・ブーム 「わたしの隠れ場」を読んで

今日、コーリー・テン・ブーム『わたしの隠れ場』を読み終わった。

 

著者はオランダ人の女性で、第二次世界大戦中、ユダヤ人をかくまったため、自分自身も家族も強制収容所に入れられた。

 

本の前半では、楽しかった日々や、だんだんとナチスの脅威が近づいてきた様子、そして、著者の家族たちをはじめとしたごく普通の市井の人々が、ユダヤ人を助けるために大変な勇気と優しさを発揮したことが、リアルに描かれていた。

 

そのうえで、本の後半では、ユダヤ人をかくまっていたことが原因で、著者と家族たちが強制収容所に送り込まれてからの日々の貴重な記録がしるされている。

 

著者のコーリーの父は、実直な時計工で聖書を愛読する心優しい人物だったが、逮捕直後に亡くなった。

コーリーとその姉のベッツィーは、はじめはオランダの、そして戦局が悪化してからはドイツの収容所に連れていかれ、過酷な日々を過ごす。

 

しかし、姉のベッツィ―とコーリーは、看守に見つからないようにいつも聖書を愛読し、人々にも読んで聞かせ、祈りと信仰の中で過ごした。

 

ナチスの人々や、多くの人が荒んだ心を持っている中、いつも愛に生きていたベッツィーの姿は、本当に奇跡としか思えない。

しかし、ベッツィーも、収容所の過酷な日々の中で、ついに病気で死んでしまう。

 

その後、コーリーは、なぜか突然釈放されることになり、そのあともすんなりとはいかず、なかなか大変なのだが、オランダに生きて帰ることができた。

それは事務上の単なるミスであったことがずいぶん後にわかり、しかも同じ収容所の人々はその直後にガス室送りになっていたことがあとでわかったそうである。

 

生前、ベッツィーは、「コーリー、もし人に憎むことを教えることができるとしたら、愛することも教えることができるのじゃないかしら。あなたも私も、たといどれだけ時間が掛かろうと、そのための方法を見つけ出さなくちゃ…」(267頁)と述べていた。

 

また、亡くなる直前には、ベッツィーが、ことこまかにのちに自分たちが心傷つく人々のための施設をつくることになる広い大きな屋敷の様子を語っていたという。

 

コーリーは、生きて帰ったあと、オランダで、たまたまその言葉とぴったり符号する大きな屋敷と庭に、戦争で心傷ついた人々のための施設をつくることになった。

 

それらのことは奇跡としか思えないが、何より一番の奇跡は、収容所の日々においてもベッツィーが感謝や愛を持ち続けていたことと、戦後になってコーリーが収容所の関係者の人に会って赦すことができたことだったと思う。

 

また、収容所の中で、知的障害者には何の価値もないと言うナチスの将校に対して、コーリーが言った以下の言葉も印象的だった。

 

「聖書を読みますと、神は、私たちの力や頭脳によって評価されるのではなく、神が私たちを造られたという理由だけで、私たちを価値あるものと認めておられることがわかります。神の目の前では、薄馬鹿が一介の時計工より、または中尉さんより価値があるかも知れないことなど、だれにわかるというのでしょう。」(244頁)

 

また、

 

「神の時間どりは完全です。」(340頁)

 

という言葉も深く胸打たれた。

 

誤った教育で誤った価値観を持ってしまった当時のドイツの人々のこともリアルに描かれていた。

二度とあのような時代や空気になってはならないと思う。

 

ある方から長く借りていて、返さねばと思い読んだのだけれど、読後は深い感動に包まれた。

この本を読むことができて本当に良かったと思う。

 

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diary

Yesterday, I sang hymns with my brethren.
In all 22 hymns, “Gariraya no Kaze” , “Still still with thee” and so on.
My gf played the piano accompaniment.
It was nice day.

 

This morning, I had a dream.

In the dream, I heard the words:

 

“One lives in the love of God.

And he/she lives in the love of people.

But one’s eyes can’t see that,

So he/she usually forgets it.

This is the reason why one reads the Bible,

which reminds him/her of that love.”

人(イッシュ)について およびマゴネット先生との質疑応答メモ

ユダヤ教のラビのマゴネットさんの講演があったので、聴きに行ってきた。

 

出エジプト記の二章についての話だった。

 

モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。」(出エジプト 2:12)

 

という箇所は、「誰もいない」というのは、すぐそのあとに他のヘブライ人が目撃していたことがわかるので、その場に多くの人がいたことがわかる、

つまり、ここで「誰か人がいないか見回した」というのは、不正義を黙って見ておらず、不正義に抗議するような、そういう「人」がいないか探し、いないことを見いだしたので、やむなくモーセが奴隷を虐待しているそのエジプト人を倒した、ということだ、という解説をしてくださった。

 

この箇所、原文だと、「「人」がいないか」、という文章になっており、「人」は「イッシュ」というヘブライ語だそうである。

そして、ヘブライ語では、ただの人間は「アダム」だけれど、「イッシュ」はインテグリティを持ったひとかどの立派な人、というニュアンスがあるそうである。

日本語で言うと、「漢(おとこ)」を探したがいなかった、といった感じだろうか。

歴代のレビの解釈として、ここは特に「イッシュ」に着目し、上記のような意味に受け取る解釈がなされ、深められてきたそうである。

ラビの伝統はやっぱすごいなぁと感銘。

 

結論では、モーセ出エジプトを果たすには、エジプトの王子として育てられ、かつミディアンの野で羊飼いをしていた、という二つの経験が不可欠だったということが述べられていた。

奴隷根性ではなく独立した誇り高い精神や幅広い教養や知性と、羊の群れの様子を繊細に感じ取って世話をしていく精神や能力と、これらをモーセが持っていたから出エジプトができた、また、モーセアイデンティティは多義的だった、ということの指摘がなされていた。

 

質疑応答の時に、私も三つ質問させてもらった。

 

1、世の中にある不正を黙視しない、義を見てせざるは勇なきなりの心を持った「人(イッシュ)」ということに関する御話は感銘深かった、世の中はなかなかそういう人が少なく、ユダヤ人虐殺もごく少数は黙視しなかったものの多数が見て見ぬふりをしたためあのような事態になったと思う、もし聖書やユダヤ教の中に人が「イッシュ」であるための何かもっとあれば教えていただきたい。

 

2、申命記(23章)には、エドム人とエジプト人は嫌ってはならないし、三代目はイスラエルの会衆に加わることができる、とある。これは、モーセがエジプト人として生まれ育った経験と関係があるのか。

 

3、イザヤ書19章には、エジプト人とアッシリア人イスラエル人の三つが、神の祝福を受け、世界の祝福の源になる、という箇所がある。しばしば通俗的な見方ではキリスト教は普遍的なのに対しユダヤ教は偏狭な自民族中心主義と言われるが、イザヤ書のこの箇所を見るとそんなことはなく、もともと旧約聖書の時から普遍主義的な要素があったと思われるし、今日の「イッシュ」の御話を聞いても、モーセの時からそうだったとも思われるが、その点はどうか。

 

これに対して、マゴネットさんは、以下のような答えをしてくださった。

 

1、ユダヤ人はマイノリティだったため、歴史の中でしばしば迫害やジェノサイドの対象となってきました。そのような経験から、ユダヤ人は歴史的に、正義ということを非常に重視し、正義の観念を希求するようになりました。

しかし、自分が権力を持つ側になった時に、それまでこれほど求めてきた正義の観念とどう向い合っていくかということは、長い間マイノリティだったユダヤ人には不慣れな問題であり、イスラエル建国後今に至るまでパレスチナ問題が生じています。

しかし、希望となることを言えば、イスラエル国内にも、また世界中のユダヤ人にも、パレスチナ問題におけるイスラエル国家のありかたを正義に照らして批判する大勢の人がいます。

 

2、奴隷として扱われたことがあったにもかかわらず、聖書の中には、律法の中には、おっしゃるとおり、エジプト人に対する優しい気持ちを示す箇所が存在しています。これは、モーセのエジプト人として育てられた経験や、エジプトへの理解によるのかもしれませんが、推測以上のことは申せません。

 

3、そのとおりで、イザヤ書には、おっしゃるとおり、イスラエルが世界の光となるという、普遍性を志向した内容があります。民族や宗教団体や、あらゆるなんらかの組織や団体は、常にみずからのアイデンティティを探し求め問う傾向があります。そして、多くの場合は、自分が何でないか、外との関係によって、アイデンティティを決めようとします。その一方で、それとは別に、他とうまくやっていこうとし、その中でのアイデンティティを求める場合もあります。実は、出エジプト記の中にも、イスラエルアイデンティティについての、注目すべき箇所があります。

出エジプト記19章6節に「あなたたちは、わたしにとって/祭司の王国、聖なる国民となる。」とあります。

この「祭司の王国」というのは、祭祀というのは民を代表して神と向かい合う存在ですが、イスラエルの民全体が祭司とここではされていて、つまり世界の他の民族を代表し、イスラエルの民全体が祭司とならねばならない、ということです。

ですから、代表するためには、他の民のこともよく理解し、代表できるように仲良くやっていく必要がある、ということになります。

一方で、「聖なる国民」の「聖なる」は、「分けられた」とも訳せる言葉であり、区別された民ということです。ここでは、他の民族とは異なった独自の特徴や風習を持つことということになります。

ユダヤ人にとって、外の他の民族をよく理解し仲良くやっていくことと、その一方で他の民族とは区別された独自性を保持することは、常にどちらも重要な課題であり、そしてこの二つの葛藤を常にも続けてきたわけですが、この出エジプト記の箇所がすでにこの二つの要素と葛藤が書き込まれていると見ることができます。

これは、おそらく、ユダヤ人に限らず、どの民族にも多かれ少なかれ該当する葛藤ではないかとも思います。

 

という返答で、とても興味深く、ためになった。

 

1についての返答を敷衍すると、苦しみの体験からこそ本当の正義感は生じるし、仮に今現在がマイノリティではないとすれば、マイノリティの声に耳を傾けたり、かつて自分がそうであったことを忘れないことが大事、ということだろうか。

 

にしても、やっぱりユダヤ教はすごいなぁとあらためて思った。

 

ナホム書 資料 (下)

『ナホム書(下) ―  良い知らせ 』 

 

Ⅰ、はじめに

Ⅱ、良い知らせ

Ⅲ、ニネベへの攻撃とニネベの滅亡

Ⅳ、アッシリアの滅亡への嘲笑

Ⅴ、おわりに

 

 

Ⅰ、はじめに 

    

・ナホム書 紀元前663頃-627頃に述べられたと推測される。

 

※ 前回(第一章)の内容のまとめ 

 

・神は悩みの日の砦 (アッシリアの急速な衰退と滅亡という困難な時代(紀元前7世紀)においても)

アッシリアに対する審判。アッシリアは歴史上の一帝国であるのと同時に、弱肉強食の帝国主義そのものをナホム書では象徴的に指している。)

・ベリアル(悪・罪)に対する審判。罪からの解放、救い。

 

※ 「ナホム書の構成」

 

第一部 ニネベに対する主の怒り 第一章(1:1~1:14)  前回

第二部 ニネベ崩壊とアッシリア滅亡の預言 第二~三章(2:1~3:19)  今回

 

・第二部(第二~三章)の構成 

 

Ⅰ、良い知らせ (2:1~2:3)

Ⅱ、ニネベへの攻撃とニネベの滅亡 (2:4~3:17) ※ニネベ=アッシリアの首都

Ⅲ、アッシリアの滅亡への嘲笑 (3:18~3:19)

 

旧約聖書の読み方 

 

1、旧約聖書そのものをそれ自体として完結したテキストとして精緻に読み、歴史的に研究する。 ex:マゴネット先生

2、新約聖書の信仰の観点から旧約聖書を読む。(旧約は新約の光に照らした時にその意味がわかる。新約の真理は旧約の中に隠れている。)  ex:アウグスティヌス

 

 無教会は1と2の両方。可能な限り歴史的背景や旧約それ自体のテキストを正確に理解しようとしつつも、2の観点からも明確な光を当てて読み込む。(ex:内村鑑三 聖書全体の著者は神という視点)

※ ナホム書も、1と2の両方の観点から読まれるべき。

 

⇒ ナホム書の中の「良い知らせ」は、アッシリア滅亡を吉報として受けとめた当時のユダヤ人の言葉であるのと同時に、キリストの福音の到来の預言=メシア預言として読むことができる。また、アッシリアの滅亡は、単に歴史上の一帝国の滅亡としてのみでなく、時代を越えた人間の、他人を力ずくで支配しようとする「内なる罪」や「内なる帝国主義」に対する審判として読まれる時に、私たちにとってより切実な意味を持つ。⇒ 本講話はそのささやかな試み

 

Ⅰ、良い知らせ (2:1~2:3)

※ 2:1~3は、ナホム書の中で、前後の文章との関連がわかりにくい箇所。内容も抽象度が高い。 ⇒ メシア預言?

 

◇ 2:1 「良い知らせ」(בָּשַׂר  バサル)  旧約では単に「吉報」の意味。

 福音 (Gospel/Good News, ユーアンゲリオン) 新約ではキリストの到来。

フランシスコ会訳2:1「善い知らせを告げる者が、山々の上をやって来る。/それは平和を告げる者。/ユダよ、祭りを祝い、お前の誓いを果たせ。/無法の者はすべて滅ぼされ、もうお前の間をまかり通ることはない。」

ナホム書における「良い知らせ」の意味の受けとめ方

⇒ ①アッシリア滅亡の預言 

⇒ ②福音:イエス・キリストによる神の国の到来・罪の赦しと救いの到来の知らせ

    

 

この箇所がメシア預言あることの証拠:

① 平和を告げるメシア ② ヤコブイスラエル=肉と霊の救い ③ぶどう

 

① 「平和を告げる者」 ⇒ 平和(שָׁלוֹם シャロームを告げるメシア:

 

イザヤ9:5 「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。 」

 

・イザヤ11:1~16 「・・・狼は小羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち/小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ/その子らは共に伏し/獅子も牛もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ/幼子は蝮の巣に手を入れる。わたしの聖なる山においては/何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。」

 

・「祭りを祝い」 ヘブライ12:22「しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、」

「誓願」 ⇒ 罪から解放され、霊的な祝福と喜びの中でこそ、のびのびと自分の人生の本当の願いを実行し、実現して生きていくことができる。

「よこしまな者」=ベリヤアル(ベリアル、キリストと対をなす悪魔、Ⅱコリント6:15) ⇒ 単なる歴史上のアッシリアではなく、罪や悪のこと。

「彼らはすべて滅ぼされた。」 悪・罪が完全に滅ぼされること。救い。

◇2:2 「腰の帯を締め」 ⇒ エフェソ6:11~17

「…神の武具を身に着けなさい。立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、/平和の福音を告げる準備を履物としなさい。…」

⇒ 2:1で罪からの解放は示されているが、仮に信仰を得て罪から個人としては解放されても、「天にいる悪の諸霊」(エフェソ6:12)がこの世界には存在している以上、しっかり気を付けて闘っていくべきこと。

 

② 肉と霊の回復・救い

◇2:3 ⇒「主はヤコブの誇りを回復される/イスラエルの誇りも同じように」

 

イスラエルヤコブの別名。

創世記32:29(ペヌエルでの天使との格闘の後の祝福の命名)。

ともにヤコブの子孫であるヘブライ人のこと。

同語反復?

⇒ ヤコブを神の顔に会う前の肉としての人間という意味と、イスラエルを神と出会った後の霊的な再生・新たな出発の意味と受けとれば、福音による霊的な新生のこと。また、信仰を得た時に「義」とされた上で、徐々に清められていくこと。霊と肉の両方の救い・回復。

 

③ ぶどう 2:3 新共同訳「その枝」=フランシスコ会訳「ぶどうのつる

(文語訳「葡萄蔓」、NIV “their vines” ヘブライ語 זְמֹרֵי  zemorah)

フランシスコ会訳2:3 

「主はヤコブの誇りを回復された。/イスラエルの誇りを。/かつて、荒らす者が荒らし、そのぶどうのつるを全滅させたのだったが。」

 

参照・ヨハネ15:1 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」

⇒ かつて、ぶどうの幹(神)とつながっているはずの「ぶどうのつる」(神の民)が荒らされたが、福音の到来により回復され、霊的に復活する。

⇒ 良い知らせ(福音)により、神とのつながりを回復し、霊と肉の両方が救われる。

 

Ⅱ、ニネベへの攻撃とニネベの滅亡 (2:4~3:17)

 

 2:4 赤い盾・緋色の服の軍隊。⇒ ゼカリヤ1:8,6:2 黙示録6:4 審判

歴史上で言えば、アッシリアを攻めるメディアとバビロニアの連合軍。

非常に精彩に富んだ文章。ニネベ攻撃の叙事詩

  

 

◇ 2:8 「王妃」・「侍女」 ⇒ フランシスコ会訳「女主人」・「召使」

アッシリアの歴史上「女王」はおらず、ここでは、女神イシュタルと巫女・神殿娼婦たちを指していると考えられる。

 

  

・イシュタル 

 

愛と戦闘の神。シュメール・バビロニアアッシリアで広く崇拝。ニネベには古くからイシュタルの神殿があった。シュメールでの呼び名はイナンナ。カナン地方ではしばしばアシュトレトと習合。ギリシャ・ローマのアフロディテ/ヴィーナスとも習合。聖書では、「天の女王」とも記される。ユダヤでも崇拝されるようになり、エレミヤ44:17-30ではエレミヤが厳しく批判した。

⇒ 現代文化におけるSex&Violence. 性愛と暴力。他の人格を無視しても、自分の欲望を成し遂げ成就したいという人間の願望が生み出した偶像。

⇒ メソポタミア神話では、イシュタルには120人以上の愛人がいたとされる。

(イシュタルの夫のドゥムジ(タンムズ)の神話。イシュタルに身代わりとして殺され冥界に送られる。ギルガメシュ叙事詩にも登場)

 

⇒のちに黙示録ではバビロンの大淫婦と表現される。(ナホム3:4 黙示録17:1-6)

余談:メソポタミア神話はグノーシス主義の説話と密接なかかわりがある(参照・月本昭男『古代メソポタミアの神話と儀礼』第四章。七柱の神、十二宮。)

(他にもリリト/リリス(イザヤ34:14「夜の魔女」)は、もともとはメソポタミア神話に登場。)

 

◇ 2:9 水の流出。覆水盆に帰らず。 水=御言葉や霊とすれば、アッシリアがもはや神とつながった霊的な感性やいのちを失い、滅びていくことをとどめえないこと。

 

◇ 2:10-11 世俗の富は滅亡を防ぐことに何の役にも立たないこと。

ルカ12:13-34 愚かな金持ちのたとえと、地にではなくて天に富を積むべきこと。

 

◇ 2:12-14 「獅子」

⇒ 己の力を頼りとする人の罪。実は神の絶大な力と恩恵に支えられているのに、それを無視しておごり高ぶっていたこと。この世は弱肉強食ではなく、己の力だけによって生きているわけでもない。

参照・ヨブ38:39-41 「お前は雌獅子のために獲物を備え/その子の食欲を満たしてやることができるか。/雌獅子は茂みに待ち伏せ/その子は隠れがにうずくまっている。/誰が烏のために餌を置いてやるのか/その雛が神に向かって鳴き/食べ物を求めて迷い出るとき。」 ⇒獅子や烏の食べ物を備えるのは神。

⇒ ルカ12:24 「烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。」

 

⇒ アッシリアは自国民のために多くの罪や殺戮を犯してきた。しかし、戦車=軍事力はすべて神の審判によって喪失され、アッシリアがかつて振るった「剣」が若獅子つまりアッシリアの若い世代を餌食とする事態となることが述べられる。軍事力の行使や軍事力に頼ることは、次世代や若い世代を犠牲にする。

 

使者の声」:列王記下18:19-35 

ラブシャケのヒゼキヤ王たちに対する愚弄の言葉:「…ヒゼキヤの言うことを聞くな。彼は、主は我々を救い出してくださる、と言って、お前たちを惑わしているのだ。/諸国の神々は、それぞれ自分の地をアッシリア王の手から救い出すことができたであろうか。…」

⇒ こうした大国の驕りの言葉は、二度と言えなくなる。聞かれなくなる。

 

◇ 3:1 「災いだ、流血の町は。

アッシリアの罪:

イスラエル王国の首都・サマリア陥落。北イスラエルの十支族はこの時に多くが殺され、生き残った人々も強制移住させられて歴史から消滅していった。(一部は南ユダに移住したと推測される。)

アモス5:3 「イスラエルの家では/千人の兵を出した町に、生き残るのは百人/百人の兵を出した町に、生き残るのは十人。」

 

アッシリア王の碑文:

 

①ティグレト・ピレセル一世の碑文:「敵の2万人の兵士およびその5人の王と余は戦い・・・彼らを大いに破った。余は彼らの血糊を、谷間や高い峰に流れさせた。彼らの首を斬り、彼らの町のはずれにそれらの首を、あたかも穀物の山のごとくに積み上げた。・・・余は彼らの町を焼き払い、破壊して、ついに無に帰せしめた。」(『ライフ人間世界史』13巻57頁)

 

②アッシュールナシルパル二世の碑文:「余は市の門に面して柱を立てた。そして主だった人すべての皮をはぎ・・・その皮を柱に巻きつけた。ある者は柱の中に塗りこめ、ある者はクイに刺して柱の上につき立てた。・・・そして役人どもの手足を切り落とした。」「そのうちの多くの捕虜を焼き殺し・・・ある者からは手と指を切り落とし、ある者からは鼻と耳をそぎ落とし・・・多くの者の目をえぐり出し・・・若者と娘たちを火の中に投げ込んだ。」(『ライフ人間世界史』13巻58頁)

 

センナケリブの碑文(バビロン占領の際の記録):「余は(その住民の屍で)市の広場を埋めた。・・・街と家々をその土台から先端にいたるまで、余は壊し、荒廃させ、火で焼いた。壁と外壁、神殿と神々、レンガと土で造った神殿の塔、それらをすべて破壊した。・・・余は市の中央に(ユーフラテス川から)運河をひかせて、町中に水をあふれさせた。・・・やがての日、町とその神殿と神々のありかがわからぬように、余は町を水に溶かし、・・・全滅させ、そこを野原のごとくにした。」(『ライフ人間世界史』13巻61頁)

 

 3:4-7 「呪文を唱える遊女」 cf.バビロンの大淫婦 黙示録17:1-6

当時の粘土板からは、大量の呪文に関する楔形文字のテキストが発見されている。

⇒ 科学ではない迷信。神の御旨ではなく自分たちの欲望を中心とした儀式・迷信。

⇒ それらが何の効果もなかったことや、ただ単に人をだましあざむくものだったことが明らかになり、正体が暴露される。 

⇒ 誰もこのような虚偽の滅亡を嘆かない。 ⇒ 後世に伝わらない。誰も偲ばない。

⇒ ユダヤ教キリスト教が時を越えて受け継がれ、語り継がれたことと対照的。

 

呪文・淫行: 虚偽(フェイクニュース)や人心を堕落させる情報・メディアは、現代における「呪文を唱える遊女」

⇒ それらは時が来れば正体が明らかになる。

 

 3:8-13

 

テーベ: エジプトの神アメン・ラーの宗教的聖地。エジプトの宗教的中心。

紀元前663年にアッシリア軍に占領されて略奪・破壊を受けた。(ナホム書の年代推定根拠)

テーベが破壊されたように、エジプトがアッシリアの攻撃で被害を被ったように、ニネベも破壊され、アッシリアも甚大な被害を受ける時が来るという預言。

  

 

※ 日中戦争当時、重慶爆撃を見て、東京や日本も同じ目に遭うと預言したようなものか。

重慶爆撃では一万人以上が死に、四万人以上が怪我。)

 

アメン・ラー讃歌第7連:「敵はテーベより追い払われる。/<テーベ>は諸都市の女主人、全土の眼、(中略)アトゥムの聖眼、ラーの眼なり。/テーベ、なべての都市にもまして強力にして、その勝利によりて国土に唯一の支配者を与えたり。/弓を手にし、矢をにぎり、その力かくも偉大なるが故に、その近くにて戦いなし。なべての都市、その名によりて誇る。テーベはその女主人、かれらにまして強力なり。」

同第800連:「人、称賛者としてテーベに上陸す。正義の場、沈黙の地たる<テーベ>に。<正しからざる者>正義の場たるテーベに入るをえず。その船<正しからざる者>を渡すことなし。そこに上陸するものは幸いなり。」

(筑摩世界文学全集第一巻『オリエント集』所収)

⇒ イシュタル信仰やアッシリアの宗教がなんらアッシリアの滅亡をくいとめることができず、単なる迷信だったことが明らかになったように、古代エジプトの宗教もテーベの被害を食い止めることができなかった。メソポタミアとエジプトの多神教は、のちに次第に失われていき、残るのは遺跡だけとなった。 

⇒ ユダヤ教キリスト教が今も続くのと対照的。

 

(※追記メモ1:ただし、エジプトとアッシリアの文化はイスラエルと密接に関連していた。特に旧約聖書の「箴言」は、エジプトの「アメンエムオペトの教訓」や「アニの教訓」およびアッシリアの「賢者アヒカルの言葉」と共通の格言を多数含み、その内容において密接なかかわりを持っている。神話も、ギルガメシュ叙事詩に洪水伝説が載っているように、関連が深い。)

 

(※追記メモ2:ちなみに、ナホムの頃は、エジプトは第二十五・第二十六王朝の時代である。(第二十五王朝がアッシリアによって征服され、その後第二十六王朝が独立)。モーセの頃はエジプトは第十八もしくは第十九王朝と推測されている(ハトシェプストが十八王朝、ラムセス2世が十九王朝。ちなみにアマルナ改革を行ったアメンホテプ4世やその息子のツタンカーメンも第十八王朝)。

 

◇ 3:14 「粘土」

ヨブ38:12-15:「お前は一生に一度でも朝に命令し/曙に役割を指示したことがあるか/大地の縁をつかんで/神に逆らう者どもを地上から払い落とせと。/大地は粘土に型を押していくように姿を変え/すべては装われて現れる。/しかし、悪者どもにはその光も拒まれ/振り上げた腕は折られる。」

⇒ 神の圧倒的な力に比べれば、ほんの小さな力しか持たないのに、人間がわずかな城砦や城壁をつくっておごり高ぶっていたことの罪。

 

 3:15-17 「いなご」

御言葉を食い荒らし、人心を荒廃させる情報や悪しき思想など?(cf.ヨエル書)

と同時に、頼りにならない軍人や指導者たちのこと。いち早く自分たちが逃亡する。

 

⇒ 敗戦の時の関東軍など。

⇒ アッシリア滅亡に際し、踏みとどまって戦おうとする者がおらず、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった様子。

⇒ 現代日本の指導的立場にある人々はどうか?(311の時に東電の会長や社長は出張先からなかなか戻らず、しかも事故現場から社員たちを撤退させようとしていたことetc.)

 

※ 頼りにならない教えや人々は、いなごのように危機に際しては飛び去って逃げる。

 

Ⅲ、アッシリアの滅亡への嘲笑 (3:18~3:19)

 

アッシリアの最後の王シン・シャル・イシュクン(サルダナパロスの伝説)。二年間ニネベに籠城するものの、毎日酒池肉林の遊蕩に耽り、ただの一度も危機を打開しようという努力やみずから出撃しようということはなく、最後は自らと王妃たちを火の中に投げ込んで焼け死んだ。(伊藤政之助『世界戦争史』一巻)

アッシリアは1400年間の歴史に終止符を打ち、その後二度と再建されることがなく、ニネベは19世紀に発掘されるまで長い間場所自体も忘れ去られた。

   ドラクロワ「サルダナパールの死」

 

王・牧者・貴族たちがまどろみ、眠りこける。 ⇒ 亡国の兆候・原因。日本においても、政治家や知識人や社会の責任ある立場の人々が、まどろみ、眠りこけていないか。

 

◇ 3:19 「お前のうわさを聞く者は皆/お前に向かって手をたたく。」

⇒ 手を叩いてその滅亡が喜ばれた。

 

※ キリストとの対照

 

ルカ23:47-48 

「百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。/見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。」

⇒ その滅亡を手を叩いて喜ばれた「アッシリア」と、人々が胸を打ってその死を嘆いたイエス

 

ルカ 23:49 、マルコ15:40 婦人たちは遠くから見守っていた。近づけば仲間として逮捕されて命の危険があり、それはイエスも望まなかったため。

 

泥憲和さんのことと、ある看護師さんの患者の社長さん

内村鑑三と、今はあまり名前も思い出されない多くの当時の有力者たち

内村鑑三キリスト教問答』の中のナポレオンのエピソード。

 

しかしながら、・・・

 

罪の結果が滅びであるならば、アッシリアのようなみじめな滅亡は万人にとっての結果だったはず。

※「神の前に罪びとでない者はいない」のであれば。(詩53:2-4)

 

罪なきイエスが、万人に代わって、一手にみじめな滅びや冷笑や嘲笑を引き受けて死んでいった。(イザヤ53章、ルカ23章)

 

ナホム書の末尾は、本来であれば、罪びとである私たちが受けるべき定めだったものを、代わりにキリストが引き受けたということに思い到ったときに、はじめてその深い意味がわかるのではないか。

 

十字架上のキリストの死と復活⇒ 万人の罪のゆるし ⇒ 万人の祝福と栄光

 

⇒ アッシリア・エジプト・イスラエル すべてが神の祝福を受けるとイザヤ書19章では述べられる。また、世界を祝福する源とされる。

 

ナホム書では述べられないが、アッシリアもまた神の祝福を受ける存在となる。

 

イザヤ19:22-25

「主は、必ずエジプトを撃たれる。しかしまた、いやされる。彼らは主に立ち帰り、主は彼らの願いを聞き、彼らをいやされる。/その日には、エジプトからアッシリアまで道が敷かれる。アッシリア人はエジプトに行き、エジプト人はアッシリアに行き、エジプト人とアッシリア人は共に礼拝する。/その日には、イスラエルは、エジプトとアッシリアと共に、世界を祝福する第三のものとなるであろう。/万軍の主は彼らを祝福して言われる。「祝福されよ/わが民エジプト/わが手の業なるアッシリア/わが嗣業なるイスラエル」と。」

 

日本もかつては、アッシリアのように、軍国主義偶像崇拝に走り、近隣諸国からその滅亡を手を叩いて喜ばれた。しかし、平和国家として歩む今は、311では130カ国以上が支援を申し出て、多くの国から信頼され愛されている国と言える。「世界を祝福するもの」のひとつになっているか、引き続きなりうるかどうかは、今後の歩み次第。

 

Ⅴ、おわりに  

 

1、偶像崇拝とは何か

 

・偶像は、単なる「彫像」ではない。単なる彫像があってはいけないのであれば、教会の十字架像やマリア像などもすべてだめということになる。

⇒ 神の御心やキリストの感性(つまりお互いを大切にするということ)を見失わせ、忘れさせ、別の方向にそらせてしまい、しかもそのようなありかたを自己正当化する根拠になるものが「偶像」。

⇒ 現代における金銭、セキュリティ(安全)、弱肉強食、自己責任などなど。

 

2、アッシリアは他人ごとではない?

 

軍国主義や周辺諸民族への征服や圧迫や、偶像崇拝や、「神殿娼婦」などの問題は、日本にとっては決して他人事ではなく、植民地や遊郭従軍慰安婦などを抱えていた戦前の日本の姿そのものだったのではないか。

⇒ 1945年の8月15日の時に、近隣諸民族から手を叩いて喜ばれた点でも、アッシリアに似ていた。しかし、戦後の日本が平和国家として復活したことは神の恩寵だった。 ⇒ にもかかわらず、再び「オムリの定めたこと、アハブの家のならわし」(ミカ書6:16)を辿っていないか。

3、アッシリア滅亡の原因 

 

※ 伊藤政之助『世界戦争史』第一巻の考察:

1、強制移住政策をとったため、首都周辺に異民族が多く、首都陥落の際もぜんぜん愛国心が存在せず、頼りにすべき自民族は遠方にいた。

2、スキタイやキンメリなど、騎馬民族の攻撃。

3、アッシュルバニパル王が文治政策に走った結果、文弱になった。

4、長年の宿敵エジプトを倒し征服してしまった結果、目標を失い気が緩んだ。

5、軍事大国だったため外交を無視し外交が下手だったため、危機に瀕した際に誰も助けてくれる国がなかった。

6、王が暗愚だったため。

 

⇒ どれももっともだが、一番の原因は「神を愛し、人を愛すること」を見失ったからではないか。偶像崇拝に走り己の力だけを頼りにした結果ではないか。

⇒ アッシリアが裁きを受けた理由は、神を大切にし、人を大切にするという根本のことを忘れ、力ずくで他人を支配し従わせる生き方を推し進めた結果であった。

 

4、私は本当に「良い知らせ」(福音)を喜んでいるのか?

 

福音とは? 福音を受け入れ信じることによる救い

⇒ 誰もが救われる。明るい充実した良い人生・いのちが開かれる約束。

(参照:内村鑑三森鴎外。吉村孝雄先生の湯川秀樹の回想。池明観さんの事。) 

・ローマの信徒への手紙3:21「すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。」

・ローマの信徒への手紙3:24「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」

 

※ 福音が来ていること=「マラナタ」 (Ⅰコリント16:22) 

マラナタ=「我らの主きたり給う」「我らの主きたりませ」の意味 

 

塚本虎二:「再臨の信仰に燃えし初代の兄弟姉妹たちは幸いであった。マーラナサの一語に生き、また死にし彼らは、最も恵まれし者であった。この一語は彼らの涙をぬぐい、傷をつつんだ。迫害を喜びに、艱難を笑いに変えた。

「夜の寒さにうなだれて閉じた花が、太陽がこれを白むる時に、みな真っ直ぐにその茎の上に開くごとくに」、内と外の戦にまさにくずおれんとせし彼らの心は、マーラナサの一語によみがえった。

すべての複雑なる人生問題と社会問題と家庭問題とはその前に氷解した。慈母の足音を戸外に聴きて、子らのすべての問題が消散するごとくであった。羨ましき単純さよ!

 私は、キリスト者が一日も早くこの点に目覚めて、マーラナサが全信者の標語となり、暗語となり、この一語に、個人問題、家庭問題、社会問題、教会問題のすべてを解決する時の、再び来らんことを切に祈らざるを得ない。」

(塚本虎二『私の無教会主義』、(塚本虎二著作集続第一巻、13-14頁))

 

福音:キリストの誕生と生涯と十字架の死と復活と再臨の約束 

⇒ 全ての人がキリストのいのちを生きており、信仰を得た人は必ず救われる。罪が赦され罪から解放され、聖霊によって潔められる生涯を送り、キリスト再臨において復活しキリストに似た者となる。

⇒「マラナタ」を本当に喜べば、詩編100のような喜び

 

・福音を本当に喜んでいるのか、ナホム書2章1~3節を味わう中で、考えさせられた。

・ただキリストを信じるということのみによって、罪(ハマルティア=的外れ)から解放されたという恵みを、当たり前のように思い過ごしている自分がいる。

・「良い知らせ」(福音、マラナタ)をくりかえし聞き、喜び、讃美しながら生きていくところに人生の喜びはある。

・神を愛し人を愛し、神を大切にし人を大切にして生きていく中に、人生の終りにおいても、人から手を叩いてよろこばれる滅びでなく、人から悲しみ惜しまれ愛惜され、神から義の栄冠(Ⅱテモテ4:8)を受けるような人生がある。

 

※ ナホム書は激動の時代にあっても「神は悩みの日の砦である」ことと「良い知らせ」を教えてくれる。審判のみではなく「慰め」(=ナホム)の書。

 

「参考文献」

・聖書:新共同訳、フランシスコ会訳、関根訳、岩波訳、バルバロ訳、文語訳、口語訳、英訳(NIV等)

ヘブライ語の参照サイト:Bible Hub (http://biblehub.com/

・デイヴィッド・W・ベーカー著、山口勝政訳『ティンデル聖書注解 ナホム書、ハバクク書、ゼパニヤ書』いのちのことば社、2007年

・『Bible Navi ディボーショナル聖書注解』いのちのことば社、2014年

・『聖書事典』日本基督教団出版局、1961年 他多数  

上野英信 『写真万葉録・筑豊』全十巻

上野英信『写真万葉録・筑豊』全十巻を読み終わった。
一ヶ月ほど前、上野英信の友人でもあった犬養先生から勧められて、ちょっとずつ読み始めた。
戦前・戦中・戦後の筑豊の様子などが映っていて、このような本にまとめねばおそらくは多くは忘れられていったかもしれない貴重な風景や光景の記録だった。
ごく普通の、名もなき人々への、限りない愛と惜別と寄り添う心がなければ、このような本はできなかったことだろう。
 
著者が言うには、筑豊は「日本資本主義のはらわた」であり、最も過酷な資本主義の収奪や抑圧が横行した地域だった。
推計によれば、六万人以上が事故死したらしい。
事故が多発する危険な労働環境である上に、骨の髄までしゃぶり尽くすような搾取と過酷な労働だったようである。
特に戦前・戦中はひどかったようだ。
 
しかし、この写真集では、束の間、廃坑閉山になるまでの間の戦後の一時期の、幸せそうなさりげない日常や、元気な子どもの様子も記録されていた。
ただ、それらの束の間の幸せも、エネルギー政策の変更による炭坑閉山で雲散霧消してしまったようである。
今は、筑豊はさびれて、かつての炭鉱もボタ山も、それと知って見なければわからないほど風雪にさらされている場合も多いようである。
 
この写真集を読んでいて印象的だったのは、筑豊の路地や炭坑の様子が映っている他の巻もさることながら、閉山後にブラジルやパラグアイに移住した人々の写真とそれらの人々の人生の経歴が書かれている巻だった。
国策で捨てられた「棄民」の人々の、ひとりひとりの顔や人生や名前を記録に残していった上野英信の「愛」は、本当にすごいと思った。
それらの人々の苦労は、とても想像を越えていたと思うし、そしてめったに顧みられることもなかったのかもしれないけれど、本当に立派だったと思う。
西ドイツまで移住して行った人々が多数いるということは、恥ずかしながら私はこの本ではじめて知った。
 
また、筑豊に強制連行されてきた朝鮮の人々の、墓石とも言えないようなごろごろとした石の墓や、名前すら書かれず年齢と「某鮮人」とのみ記された過去帳の写真なども、絶句せざるを得なかった。
戦時中は筑豊の炭坑労働者の三分の一は朝鮮の人々であり、その多くは強制徴用だったそうで、過酷な労働環境の中命を落としていった人も多かったそうである。
 
山本作兵衛の証言として本の中で紹介するエピソードの中の、あまりの過酷な労働環境に堪えかねて、ダイナマイトで自爆死する人が戦時中はしばしばいた、という話にも、なんとも絶句する他なかった。
 
こうした過酷な収奪の上に巨万の富を築いた炭坑財閥の人々の、邸宅が観光名所になり、今もその子孫が権勢を振るっているのを見ると、せめてもこうした歴史が一方にあったことを、庶民の側は忘れない方がいいのではないかと思えてならなかった。
 
かく言う私自身、この年になってこの本を読むまで、ほとんど何も知らなかったなぁとしみじみ思う。
福岡の公共図書館の多くにはこの本が置かれているようなので、多くの人々にこれからも読み継がれて欲しいと思った。
 

丸山豊『月白の道』を読んで

丸山豊の『月白の道』を読み終わった。

本当に貴重な本だった。

詩人の丸山豊が、軍医として従軍したビルマ戦線での思い出を綴った文章である。

 

丸山豊は、軍医としてビルマ戦線に出征し、「龍兵団」に属し、水上源蔵少将の側近くで過ごしたそうである。

 

龍兵団は、日本陸軍の中でも最強と呼ばれ、主に福岡や久留米出身の兵隊から編成され、ビルマ方面で壮烈な闘いをしたことが有名だが、この本に描かれる水上少将や丸山豊たちのエピソードは、本当に不思議な優しさと幻想的な雰囲気に満ちていて、とても悲惨な戦場なのに、何といえばいいのだろうか、語弊を恐れずに言えば、「詩情」に満ちたものがあった。

それは、小半世紀経ってから書かれて、著者の丸山豊が昇華し、思い出として純化していたからなのか、それとも司令官の水上源蔵少将の稀有な個性のためなのかは、よくわからないけれど、おそらくは後者の原因によるのかもしれない。

 

水上少将は、参謀本部の無茶苦茶な命令に従っていると部隊が全滅すると考え、自分の一存で作戦命令に抵抗して撤退を決め、そのおかげで部隊が全滅を免れかろうじて多数の人が生き残ったことと、水上少将本人はその責任を負って自身は自殺したという話は、以前別の本で読んで胸打たれたことがある。

ただし、それぐらいしか私は知らなかったのだけれど、この『月白の道』では、水上少将はとても動植物に詳しく、鳥の卵を大切にしたり、実戦や演習の際は最後の一兵が陣地に戻ってくるまでずっと門の側で軍装を解かずに待っていたなど、とても優しくこまやかな人柄だったことが多く描かれていた。

ろくでもない参謀や高級将校が多かった当時の日本軍で、水上少将のような人物がいたのは、せめてもの救いだったのかもしれない。

 

中でも、水上源蔵少将が、

「みんなの体は、それぞれがご両親のいつくしみをうけて育ちあがった貴重なもの、これを大切にとりあつかわぬ国は滅びます」

と言っていた、という記述を読んで、水上少将のような軍人が多ければ、日本も滅びずに済んだのかもしれないと思われた。

 

水上少将の死のくだりも、読みながら、なんとも言えぬ気持になった。

ミートキーナの死守(つまり玉砕)の作戦命令と、水上少将に対して二階級特進軍神にするという電文を受け取っていたにもかかわらず、 水上少将がそれらを無視し、他の人々が周囲にいない時に拳銃で自殺したことと、自殺する前に部下の将兵に南方への「転進」つまり撤退を命じる命令書を作成して遺書がわりに置いていたという、水上少将の行動は、自分の死と引き換えに部下の玉砕を防いで撤退を命じたという点で、司令官として当時の日本の軍人にしては珍しい立派な決断だったと思う。

「抗命」とそのことをこの本では表現していた。

上官の命令が絶対だった当時の時代において、ぎりぎりのところで命令に抵抗する「抗命」は、今の人間からは想像もつかないほど難しいことだったのだろうし、そしてまた、本当は、もっと多くの人が「抗命」をするべき時を弁えてその勇気を持っていれば、もっと多くの人命が助かっていたのかもしれないと思えた。

 

この本で、他に、あと二つ、とても印象的なエピソードがあった。

 

ひとつは、ある同じ部隊の人物が、軍隊内に慰安所をつくることになった時に断固反対し、現地の女性を無事にきちんと元の村まで送り届け、それから程なくてして戦場で戦死した、という話だった。

その人は、著者が書くとおり、「仏」になったと思えてならない。

 

また、ある人から著者が聞いた体験談だそうだが、その人が水上少将が死んだあとの困難を極めた撤退作戦の中で、マラリアにかかり友軍にはぐれ、しばらく眠ってしまったあと、意識が朦朧として間違って来た道を戻っていたら、どう見ても死んでいるはずの道のかたわらにあった死体の兵士が、はっきりと口を開いて、この方向は来た道で間違っている、逆方向に進め、と忠告してくれて、それで助かった、という話である。

 

他にも、撤退の大変さもずっと書いてあって、なんとも言えぬ気持になった。

 

戦争っていうのは、本当にろくでもないとんでもないものとしか言えないとしみじみ思う。

 

平和に、普通に生きて入れるのは、本当に稀有なありがたいことで、それだけで感謝と満足を感ずべきことなのだろう。

冒頭に、戦争の記憶を、ずっとうずく虫歯のようなもので、このうずきを忘れないことが平和なのではないかという意味のことが書いてあったが、直接の経験を持たない私たち以降の世代は、せめてもこうした本を読んで、当事者たちの心の痛みの万分の一でも追体験しようとすることが、少しでも謙虚になるために大事なことなのかもしれない。

 

この本は、先日GWに、星野村の源太窯に行った時に、源太さんからいただいた本だった。

ギャラリーに丸山豊の詩集や本が置いてあったので、私はぜんぜん恥ずかしながら丸山豊について知らなかったのだけれど、良い詩人かどうか尋ねると、源太さんの師匠だったそうで、いろいろ御話してくださった上、この本をくださった。

帰ってから検索してみると、もとの値段は千五百円だったのが、今は絶版で(もうすぐなくなる創言社から出版されていた)四千円以上の値がついていた。

これは読まなくてはと思い、合間合間にちょっとずつ読んで、今日やっと読み終わった。

本当に貴重な本を読むことができて感謝だった。

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本田哲郎神父の御話 メモ書き

本田哲郎神父の御話を聞く機会に恵まれた。
 
私はカトリックではないけれど、本田神父は私がこの世で最も尊敬する方で、二年ぶりにお会いして、その優しさにあらためてとても強い感銘を受けた。
 
本田神父は、聖書の新共同訳の訳者の一人だった方で、個人で新約聖書の翻訳もされた方であるのと同時に、長年ずっと釜ヶ崎でホームレスの支援に携わっておられて、以前Eテレのこころの時代でも特集があったので知っておられる方も多いと思う。
 
御話はいろんな事柄に渡ったけれど、印象深かったのは以下のことだった。
私の聴き間違いもあるかもしれないので、不正確なところはあるかもしれないが、自分用のメモ書きとして以下に若干記したい。
 
すべての人はすでに神のふところに迎え入れられて抱き取られおり、宗教や宗派は関係ない。
浄土真宗イスラム共産主義の人でも、神のいのちを本当に生きて、キリストの感性を生きている人もいる。
大切なのは宗教の形態ではなく、どれだけ真実に触れているかどうかである。
 
最も貧しく苦しい思いをしている人々の願いにこそ、真実があり、その人々の声に教えてもらい、その人々の下に立って教えを請おうとするところに、真実や解放に至る道がある。
 
御国(神の国・天国)は往くものではなく、来るものだと聖書に書いてある。
だというのに、死んでから往くものだと教会は教えがちだけれど、そうではない。
今、すでに来ているもので、神の「人を大切にする」心や解放や正義を、今ここで来らせていくことがイエスの願いだった。
 
イエスが説いた「新しい掟」は、「人を大切にする」ことである。
「人を大切にする」ことだけで良い。
古い掟にプラスして新しい掟があるのではなく、新しい掟ができていれば、すべて古い掟は本当の意味では満たされていく。
 
愛と訳すと、無理が生じ、不必要な苦しみが心に生じるが、アガペーやアガパーテというのは、「大切にする」という意味であり、愛するではない。
嫌いな人を無理に愛する必要はない。
しかし、嫌いな人であっても、人間として大切にする。
それはできるはずである。
 
福音とは、キリストが来てくださったということで、もうすでにすべての人は神のふところに抱かれて、神の子であり、神のいのちを生きているということである。
 
福音については、種をまくのではなく、刈り入れだと聖書には述べられている。
すでに誰もが神の子であり神のいのちを生きているのだから、別にクリスチャンにならなくても良いし、福音を教えてやろうなどとしなくて良い。
そうではなくて、自分自身が身をもって、解放や正義や人を大切にする心や、その人がその人自身としてのびのびと生きていくことができる、そういう福音を体現していくことが、本当の意味で福音を宣べ伝えていくということである。 等々。
 
他にもいろいろためになる御話を聞けたので、忘れずに覚えていきたいと思う。