今日聞いたある御話

今日、H先生が先日、台湾に行ってきた時の御話を聞いた。

林良信さんという方にお会いしてきたそうで、その方のお父さんの林添信さんとお母さんの林千代さんという方が内村鑑三の弟子だったそうである。

 

林添信さんは、日本統治下の台湾から東京の学校に留学して、その頃、内村鑑三の弟子になったそうだ。

もともと身体が弱く、台湾に帰国した後も無教会の信仰を貫きながらも、一生涯重い病気や治療に苦しんだそうである。

 

日本にいた時に林添信さんは、沖縄出身の千代さんという女性と知り合い、千代さんは両親や周囲の猛反対を押し切って林添信さんと結婚し、良信さんが生れたそうである。

両親ともにキリストへの信仰を戦後の台湾で保ち続けていた家庭に生まれ育ったものの、林良信さん御本人は長い間キリスト教は信じていなかったそうである。

 

林添信さんが天に召された時も、どうしてこのように神に忠実に生き続けた父が一生涯病気に苦しめられたのかという疑問が湧くのを拭えなかったそうである。

 

それからしばらく時が経ち、母親の林千代さんも老いと病気で臨終の時を迎えたそうだが、その時の出来事で、良信さんは心境が一変してキリストを信じるようになったそうである。

どういうことがあったかというと、病院のベッドで臥せっていた母親の千代さんが、急にある時目を覚ますと、しきりに自分に何かを話したという。

 

呼吸が苦しそうな状態ではじめは何を言っているのかよく聞き取れなかったが、何度も一生懸命話しかけるのを聞いていくと、こういうことを言っていたそうだ。

 

白い衣を着た人に出会い、一面に紫の美しい花が咲いているところがあった。

美しい水の流れが流れているところだった。

そこで、亡くなった林添信さんとも再会した。

 

そのことを千代さんは目を輝かせて話したそうである。

そして、翌日意識を失い、間もなく天に召されたそうである。

 

良信さんは母親の千代さんのその言葉をはじめ聞いた時は、何か夢か幻でも見たと思って聞いていたそうである。

しかし、千代さんが天に召された後になって、一瞬のうちにすべてわかる時があったそうである。

その時に、林良信さんは、復活ということがあると心の底から信じることができるようになり、自分のように罪深く神を信じることもできない人間を導くために、父も母もその尊い一生を費やしてくれたことと、すべてが神の導きであったと一瞬のうちに悟ることができたそうである。

 

なんとも胸を打たれる話だった。

私もいつか、そのような紫の花の一面に咲く場所を見て、そこで先立った人たちに会う時もあるのだろうか。

そう思うと、この人生は虚しい滅びだけではなくて、大いなる慰めや希望を得ることができるような気がする。

川島重成 「イエスの七つの譬え」

とても面白い、良い本だった。

新約聖書の中には、多くのイエス・キリストが説いた、たとえ話が出てくる。
しかし、現在伝わっているイエスのたとえ話は、おそらくマタイやルカによって改変され、特定の文脈や解釈に埋め込まれてしまっている。

著者は、マタイやルカの文脈からいったん切り離し、可能な限り原形に近い形にイエスの語ったたとえ話を復元し、その上で独自の解釈をこの本の中で示している。

こんなにも、もともとのイエスのたとえ話は、新鮮で、鮮烈なものだったのか。
本当に自由と喜びに満ちた、稀有なたとえ話の数々。
世の中にこんな本があるんだなぁと、ひさびさに驚嘆する本だった。


この本は、先日昇天したMさんから、二年ぐらい前にいただいた本だった。
きちんと重要な箇所に赤線が引いてあったり、端正な字で書き込みがあって、しっかり読まれていたんだなぁと胸打たれる思いがした。

この本で学んだことも、しっかりと生かして、生きていきたいものだと思う。

業績主義を打ち破る、圧倒的な恵みという福音の新鮮な喜び。

 

 

イエスの七つの譬え

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中村哲さんの講演を聞いて

今日は、ペシャワール会中村哲さんの講演を聞いた。

 

アフガニスタンの近年の厳しい状況についての御話とともに、近年の治水灌漑事業により六十五万人以上の人が生きる希望を得て、全くの荒れ地だった場所が豊かな緑に変わった様子などを、写真とともに御話してくださった。

影が濃いほど光がくっきり見える、ということもおっしゃっていたけれど、アフガニスタンだからこそ見える、命の輝きや大切なものなどを、あらためて教えていただいた気がした。

絶望することなく屈することもなく、淡々と地道に、とてつもない大きなことを成し遂げてきた中村哲さんは、御身体は小さくて飄々としているけれども、本当に不撓不屈の巨人というか、あらためてその謦咳に接することができて、今日は本当に良かった。

 

アフガニスタンでの活動の中でペシャワール会が一番大切にしていることは、「いかにして相手のことを理解するか」ということだそうである。

人間はとかく単なる違いを善悪や優劣や先進・後進と決めつけ、思い上がり裁いてしまうが、決してそういうことをせず、現地の文化・慣習には一切干渉しない方針を貫いている、ということを御話くださり、そのこともあらためて深い感銘を受けた。

 

また、病気を治すために、その人が何を求めているかを大切に考えること。

人の命を粗末にしないこと。

などなどの御話も印象的だった。

もともとは医療活動から始まったペシャワール会の活動が、本当に病気を治すためにはきれいな水や、健康のための食べ物が必要ということで、井戸掘りや治水灌漑に取り組むようになったことや、そのために江戸時代の柳川藩の堤防技術がとても役に立ったことなど、あらためて印象的だった。

 

講演の最後の方では、人間と自然との関係を見つめ直し、自然と人間がどう折り合いをつけるか、人間と人間とがどう折り合いをつけるか、戦争や暴力ではなく、水と食料と、そうした折り合いをつける知恵にしか、人類の未来はないということをおっしゃっていた。

非常に貴重なテーマで、忘れないようにしたい。

 

質疑応答の時間、私も、「日本では先月の参院選で与党が圧勝し、二年後ぐらいには改憲国民投票が予想されていますが、アフガニスタンから昨今の日本の状況を見ていてどう思われますか?」と質問してみた。

 

すると、哲さんは、以下のような内容のことをおっしゃっていた。

私の記憶で再構成しているので、言葉はそのものではないかもしれないが、内容としては大略以下のものだった。

 

「自分は政治は嫌いだし、遠くにいるのでよくわからないことも多いし、政策論としてはいろいろ政治家もそれなりに考えてやっているのではあろうけれど、言いたいことが二つあります。

 

ひとつは、「その手を放しなさい」ということです。

 

つまり、今の日本はあまりにも経済成長に固執し、経済成長ということをつかみ続け、つかみ過ぎている。

 

イソップ童話に、びんの中のお菓子を手にとって握りこぶしをつくったために、びんから手を抜いて出すことができなくなって泣き叫ぶ子どもの話があります。

しかし、手を放せば簡単に入れる時と同じく抜くことができたわけです。

 

それと同じで、日本にはもうこれ以上の大規模な経済成長はありえないのだから、命や自然や文化や、他の大切なことを育むためにも、経済成長への固執を手放すことを主張したいです。

 

ふたつめは、日本が平和憲法の道ではなく対米協力の道を進むことにより、アフガニスタンでの対日感情が悪化を続けているという事実を伝えたいと思います。

 

敵の味方は敵なので、日本がアメリカなど戦争を起こす国に味方すればするほど、他の国々から敵視されることになります。

 

これは何も、日本が戦争を起こしたわけではなく、日本が戦争を起こしたから嫌われるようになったわけではないのですが、戦争を起こしている国の味方をすると他の国からは敵とみなされるようにどんどんなってしまうわけです。

 

他の国のことは私は必ずしも知りませんが、アフガニスタンでは、近年、どんどん対日感情が悪くなっています。

それは日本がアメリカの味方ばかりしているからです。

 

そのことだけは、はっきり日本に伝える務めが自分にはあると思っています。」

 

とのことだった。

とても貴重な御話が聞けて良かった。

 

他にも、会場からいろんな質問が出て、哲さんも当意即妙に面白い答えをされていた。

 

Q:「アフガンでの女性の地位の低さや女性に対する抑圧が、マララさんについての報道に関連して、しばしば指摘されますが、どう思いますか?」

A:「たしかに、アフガニスタンにおける女性の教育は低い水準です。しかし、女性の教育ということよりも、99.9%のアフガニスタンの女性にとって一番大変なことは、その日の水汲みです。水汲みが一番の重労働となっています。大半の人にとっては、教育よりも、その日の暮らしが大変な現実があります。アフガニスタンの人たち自身が女性の教育については解決すべき問題で、外国が抽象的なことを言ってもあまり解決にならないのではないか。江戸時代の女性も皆不幸だったかというとそうではなかったのではないでしょうか。複眼と、地元の事情や人々の意志の尊重が大事と思います。」

 

Q:「医者として大事なこと、理想の医師像とは?」

A:「患者の身になれる人、広く色んなことを見て察して、その人の生活背景まで見て、考えることができる、聡明で親切な医者だと思います。

専門バカで、生活や背景が見えないのは、理想的とは言えないと思います。」

 

Q:「なぜODAの巨額の支援が現地の人には届かず、ペシャワール会など民間の組織が現地で活動しなければ現地の人がなかなか助からないのでしょうか?」

A:「他の国の場合はわかりませんが、アフガニスタンの事情を言えば、中央政府の力が極めて限られており、地域ごとにいろんな勢力があるため、国家間同士の支援であるODAはなかなか有効に届かず、中央政府に何かをしても、現場に届かず、軍閥同士でお金を分け合って終り、ということになりがちです。ですので、そこに現地に直接行って働くペシャワール会の出番があるというわけです。ただし、水や食料のためであれば、どのような協力もしますので、政府やJICAとも協力できることは協力して現地の活動を進めています。」

 

Q:「個人でできることは何がありますか?」

A:「人それぞれ、自分の立場やテーマで、自分でこつこつやるしかないし、やれば良いと思います。」

 

Q:「元気の源は?」

A:「よくわからないけれど、自分は恵まれていて、やりたくてもやれない人が多い中で、自分の場合、やろうと思えば今までやれてきたということがあると思います。

また、何十億という寄付をいただき、そして何十万という人々が現地で自分たちに期待しておりますから、ここで引き下がれば男がすたるという誇りといいましょうか、心意気、ですね。

自分に限らず、どこの場においても、そして実際にどの病院にも、自分を犠牲にして家族や患者や困っている人のために尽くしている大勢の人が現にいます。

そういう人々すべてが、小さなヒーローと思います。

そうした思いやりの実践が、原動力となっていくのではないかと思いますが、これは見えるが見えないもので、見えないけれど見えるものと思います。」

 

Q:「水路づくりの苦労を御話ください。」

A:「詳しくは本に書いておりますので本で。ただ、ひとついえば、医療の経験が役に立ちました。医療でも、現地にあるものでないと役に立たず、高額の医療機械など維持もできないし電気も無くて役に立ちませんから、そこにあるもので活動する経験を積んできました。水路づくりもその経験が役に立ちました。」

 

Q:「アフガニスタン支援を続けていける信念は?」

A:「それは私にもわからない、やむにやまれぬ大和魂といいましょうか。

あと、昔の年配の人は、あまりそうした質問をしなくて、やむにやまれぬ気持でやっているのだろうなあとお互いに了解があったものです。

なので、特別なことではなくて、誰もがある程度やむにやまれぬ気持でそれぞれいろいろやっていたのが健全な社会で、そういうのが少なくとなると、何か特別な人みたいになってしまいますが、本来特別なことではないと思います。」

 

等々、とても面白かった。

 

また、哲さんは古賀西小学校の出身だそうで、古賀西小学校の生徒たちが自分たちで集めた募金を手渡したり、十年前に当時哲さんと一緒に用水路をつくったという古賀西小出身で今は大学生という女の子が花束を渡したりしていて、見ていてとても微笑ましいというか、日本も捨てたものじゃないなぁとあらためてしみじみ思った。

良い講演会だった。

関係者の方々に感謝。

また、哲さんには、今後ともお元気で無事にご活躍して欲しいと思った。

 

佐々木征夫『うめ子先生 100歳の高校教師』を読んで

佐々木征夫『うめ子先生 100歳の高校教師』読了。

1992年で百歳で昇天されるまで、山形の独立学園で書道の教師をされてた桝本うめ子先生についての本である。

三カ月ほど前、たまたま独立学園のある先生の方から御葉書をいただき、それがこのうめ子先生の「祈」という一字の書の写真が印刷してある絵葉書だった。

それまで恥ずかしながらうめ子先生については全然知らなかったのだけれど、その字にとても感銘を受け、この本を図書館で借りてきてちょっとずつ読んで、今日読み終わった。

とても良い本だった。

独立学園は、戦前から続いている無教会主義キリスト教の高校で、少人数のユニークな教育を実践しているそうである。

この本を読みながら、独立学園に行っていたら、俺ももうちょっと良い人生だったのかもなぁとしみじみ思った。

この本は、もともとは、うめ子先生についてのドキュメント番組に関連して書かれたそうで、番組も当時大きな反響があったそうである。

いつかその番組も、見てみたいものである。

なんといえばいいのだろうか、とてもなつかしい気のする一冊だった。

こういう姿勢や生き方というものが、なんと貴重な稀有なものになってしまっているかに一抹の寂しさも覚えるし、独立学園がうらやましくも感じられるが、それぞれの場で、一生懸命生きていれば、きっとうめ子先生が言うように、その場において、泉が湧きだすのだろうと思う。

 

 

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男性の意識改革の必要性について

今日、ある先生から、面白い話を聞いた。

 

その先生がある時、コロンビア人と話をしていて、日本では非正規雇用が増えたことによって結婚しない男性が増え、自殺も増えたという話をしたら、コロンビアの人は、コロンビアではそんな男性は一人もいないと笑い出したという。

 

そのコロンビアの人が言うには、コロンビアの方がはるかに非正規雇用や失業者は多いが、そんなの気にせずに男性は結婚するし、むしろ自分に稼ぎがない場合は稼ぎの良い女性をつかまえて結婚しようと思ったり、別に稼ぎが悪くても自分のせいではなく、お金がない中で楽しく生きようと考えるそうである。

 

その話を聞いて、日本も意識改革が必要なんだろうなぁと思った。

 

理想的に言えば、子育てのための給付を増やしたり、社会保障制度の整備が必要なんだろうけれど、なかなかすぐには変わらないかもしれないし、特に自民党の長期政権が予測される中ではあんまり抜本的にはそうした制度改革はないだろうから、まずは男性の側の意識改革が必要なのかもしれない。

 

世間のプレッシャーはいろいろあっても、あんまり気にせず、コロンビアっぽく生きることが、未婚率を下げて出生率を上げるためにも必要なのかもしれない。

 

日本では、男性の方が女性に比べて、自殺率もはるかに高いし、非常に悲惨な他人に暴力を向けるような事件も起こしやすいようである。

 

その先生が言うには、女性は仕事だけでなくて結婚などいろんな複数のレールがあるのに対し、男性は稼ぎが悪いと一人前ではないという単線的な価値観やプレッシャーが非常に強いので、それで自殺や他殺などに走ってしまったり、そこまでいかないとしてもいろんな悩みを抱える人が多いのではないかと言っていた。

 

日本で一番大切なのは男性の意識改革なのかもなぁ。

南米をこそ見習って、稼ぎが多少悪くても、音楽に合わせて踊ったり、大いにスポーツや恋や詩にでも情熱を燃やして、楽しく生きていく構えが日本の男性にはもっと大切なのかもしれない。

ETV「モーガン・フリーマン 時空を超えて・選「死後の世界はあるのか?」」を見て

この前、ETVであっていた、「モーガン・フリーマン 時空を超えて・選「死後の世界はあるのか?」」という番組を録画していたので見た。
面白かった。

臨死体験をしたことがある学者さんの意見や、ニューロンとロボットをつなげて人工の魂をつくる実験をしている研究者の様子や、魂についての仮説や学説など、アメリカの何人かの研究者の人々の意見が紹介されていた。

その中でも興味深かったのは、スチュワート・ハメロフという医師の人の意見だった。
その人が言うには、マイクロチューブルという脳のニューロンをつなぐ物質によって、脳は一種の量子コンピューターのようになっているそうである。

そして、今まで考えられていたような、ニューロンの情報が連続的にドミノのようにつながっているわけではなくて、脳内の情報は、離れた場所にあるニューロンにいきなり飛んで伝わる「量子もつれ」という状態でつながっているそうで、そうしたことを裏付ける実験結果もあるそうである。

さらに、ハメロフ医師が言うには、臨死体験の間に、人間の脳内のこうした量子情報は、宇宙規模での量子もつれによって、人間の脳からはるか遠くに飛んで、他の宇宙のどこか別のところと情報を共有することができるのだという。
つまり、量子情報は、脳内と宇宙を行き来するわけで、それが量子もつれによって可能なのだという。

たまたま息を吹き返すことができた場合は、その時の体験や感覚を臨死体験として持ち帰ることができる、と考えられるとのことだった。

もちろん、他の学者の中には、魂というのは脳によって生み出されたものに過ぎず、人が死んだら魂というものも終わる、という唯物論を唱えている人もいた。

結局、実際に死んでみるまでは、死や魂について確実なことはなかなかわからないのかもしれない。

私自身の考えを言うならば、身近に臨死体験をしたことがある人がいるし、私自身も若干不思議な体験はあるので、単なる唯物論ではこの世界や人生は説明がつかないだろうなぁとは思う。
それに、いろんな意識や思想や発想は、連続的に伝播するというより、量子もつれ、つまり距離を離れた突然の伝播があるというのは、よくわかる気がする。

とはいえ、なかなか、この領域のことは、科学的に証明することは難しいのだろう。
したがって、あまり独断的にはならずにいることが大事なのだろうとは思う。
そのうえで、自分としては、単なる唯物論ではない、何かしら永遠につながるような、そういう視野や価値観を持って生きた方が、自分としてはしっくりくるし幸せなんじゃなかろうかという気はする。

あれこれ、あらためて、臨死体験等々の本を、暇があったら読んでみたいなぁと思った。

 

モーガン・フリーマン 時空を超えて・選「死後の世界はあるのか?」
http://www4.nhk.or.jp/P3452/x/2016-07-22/31/15373/1988018/

雑感

 

真理のうちに歩むこと(ヨハネの手紙Ⅲ)とはどういうことだろうか?

ふと考えてみた。

 

ヨハネの手紙Ⅰによるならば、真理のうちに歩むとは、すなわち、愛のうちに歩むこと、愛をもって生きること、ということなのだろう。

 

極めてシンプルな、当たり前のことである。

 

しかし、なんと、しばしば、忘れやすいことだろう。

 

自分の人生を振り返った時に、しばしば、なんと愛から離れていたことか、愛に背いていたことかと思う。

しかし、それを当然のことと思っていた。

大なり小なり、人を憎んだり、冷淡に見捨てたり、恨むことのなんと多かったことか。

そして、それを真理のうちから離れることとも、あまり意識せずにいた気がする。

 

思うに、人間というのは、基本的に真理から逸脱するようにできているのだと思う。

愛を忘れ、愛に背いて生きてしまうように生まれながらの性向としてプログラムされているのだと思う。

それを、聖書はアダムの背きやアダムの原罪と表現したのだろう。

 

で、これは人間にとってあまりにもごく自然な当たり前のことなので、人間の中だけの理屈で生きていると、このことが間違っているとも少しも思えず、問題すらそもそも感じないのだと思う。

人間であれば、敵国や敵対集団を憎み、悪人や敵を憎むことは当然と思うものだし、むしろそれが正しいと思いがちなのだと思う。

 

もし、これを間違った歩みだと気付くことができたのならば、それは決して人間の内側から出てきたものではなく、何か他からの光によるのだと思う。

 

キリストは、そうした他からの、外からの、光であり、ヨハネはその光を受けたがゆえに、上記の洞察をすることができたのだろう。

 

ルカ6章の平地の説教を、何度読んでも、そのたびに、自分はなんとこの心から隔たっていることかと思う。

しかし、そうであるがゆえに、繰り返しこの御言葉に触れて、光を受ける必要があるのだと思う。

 

もし救いというものがあるとするならば、たえず光を受けて、少しずつこの人間の誤った性向を修正することの中にしかないのだと思う。

その時に、流転輪廻の永劫の繰り返しから、少しずつ解き放たれるのだと思う。

 

ずっと繰り返し同じ軌道をぐるぐる回っていた衛星が、ある時、彗星がぶつかってはじめて軌道が変更した。

流転輪廻の永劫の人間の生と、キリストの光というものは、そのようなものではないかと思う。

 

ただ、彗星が一撃で軌道を変えることができるのに対し、そして中にはパウロのようにそのような一撃で一発で変わった人もいるのに対し、私のような凡夫の場合は、繰り返し御言葉の光を受けて、少しずつ軌道を修正する必要があるのだと思う。