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上野英信 『写真万葉録・筑豊』全十巻

上野英信『写真万葉録・筑豊』全十巻を読み終わった。
一ヶ月ほど前、上野英信の友人でもあった犬養先生から勧められて、ちょっとずつ読み始めた。
戦前・戦中・戦後の筑豊の様子などが映っていて、このような本にまとめねばおそらくは多くは忘れられていったかもしれない貴重な風景や光景の記録だった。
ごく普通の、名もなき人々への、限りない愛と惜別と寄り添う心がなければ、このような本はできなかったことだろう。
 
著者が言うには、筑豊は「日本資本主義のはらわた」であり、最も過酷な資本主義の収奪や抑圧が横行した地域だった。
推計によれば、六万人以上が事故死したらしい。
事故が多発する危険な労働環境である上に、骨の髄までしゃぶり尽くすような搾取と過酷な労働だったようである。
特に戦前・戦中はひどかったようだ。
 
しかし、この写真集では、束の間、廃坑閉山になるまでの間の戦後の一時期の、幸せそうなさりげない日常や、元気な子どもの様子も記録されていた。
ただ、それらの束の間の幸せも、エネルギー政策の変更による炭坑閉山で雲散霧消してしまったようである。
今は、筑豊はさびれて、かつての炭鉱もボタ山も、それと知って見なければわからないほど風雪にさらされている場合も多いようである。
 
この写真集を読んでいて印象的だったのは、筑豊の路地や炭坑の様子が映っている他の巻もさることながら、閉山後にブラジルやパラグアイに移住した人々の写真とそれらの人々の人生の経歴が書かれている巻だった。
国策で捨てられた「棄民」の人々の、ひとりひとりの顔や人生や名前を記録に残していった上野英信の「愛」は、本当にすごいと思った。
それらの人々の苦労は、とても想像を越えていたと思うし、そしてめったに顧みられることもなかったのかもしれないけれど、本当に立派だったと思う。
西ドイツまで移住して行った人々が多数いるということは、恥ずかしながら私はこの本ではじめて知った。
 
また、筑豊に強制連行されてきた朝鮮の人々の、墓石とも言えないようなごろごろとした石の墓や、名前すら書かれず年齢と「某鮮人」とのみ記された過去帳の写真なども、絶句せざるを得なかった。
戦時中は筑豊の炭坑労働者の三分の一は朝鮮の人々であり、その多くは強制徴用だったそうで、過酷な労働環境の中命を落としていった人も多かったそうである。
 
山本作兵衛の証言として本の中で紹介するエピソードの中の、あまりの過酷な労働環境に堪えかねて、ダイナマイトで自爆死する人が戦時中はしばしばいた、という話にも、なんとも絶句する他なかった。
 
こうした過酷な収奪の上に巨万の富を築いた炭坑財閥の人々の、邸宅が観光名所になり、今もその子孫が権勢を振るっているのを見ると、せめてもこうした歴史が一方にあったことを、庶民の側は忘れない方がいいのではないかと思えてならなかった。
 
かく言う私自身、この年になってこの本を読むまで、ほとんど何も知らなかったなぁとしみじみ思う。
福岡の公共図書館の多くにはこの本が置かれているようなので、多くの人々にこれからも読み継がれて欲しいと思った。
 

丸山豊『月白の道』を読んで

丸山豊の『月白の道』を読み終わった。

本当に貴重な本だった。

詩人の丸山豊が、軍医として従軍したビルマ戦線での思い出を綴った文章である。

 

丸山豊は、軍医としてビルマ戦線に出征し、「龍兵団」に属し、水上源蔵少将の側近くで過ごしたそうである。

 

龍兵団は、日本陸軍の中でも最強と呼ばれ、主に福岡や久留米出身の兵隊から編成され、ビルマ方面で壮烈な闘いをしたことが有名だが、この本に描かれる水上少将や丸山豊たちのエピソードは、本当に不思議な優しさと幻想的な雰囲気に満ちていて、とても悲惨な戦場なのに、何といえばいいのだろうか、語弊を恐れずに言えば、「詩情」に満ちたものがあった。

それは、小半世紀経ってから書かれて、著者の丸山豊が昇華し、思い出として純化していたからなのか、それとも司令官の水上源蔵少将の稀有な個性のためなのかは、よくわからないけれど、おそらくは後者の原因によるのかもしれない。

 

水上少将は、参謀本部の無茶苦茶な命令に従っていると部隊が全滅すると考え、自分の一存で作戦命令に抵抗して撤退を決め、そのおかげで部隊が全滅を免れかろうじて多数の人が生き残ったことと、水上少将本人はその責任を負って自身は自殺したという話は、以前別の本で読んで胸打たれたことがある。

ただし、それぐらいしか私は知らなかったのだけれど、この『月白の道』では、水上少将はとても動植物に詳しく、鳥の卵を大切にしたり、実戦や演習の際は最後の一兵が陣地に戻ってくるまでずっと門の側で軍装を解かずに待っていたなど、とても優しくこまやかな人柄だったことが多く描かれていた。

ろくでもない参謀や高級将校が多かった当時の日本軍で、水上少将のような人物がいたのは、せめてもの救いだったのかもしれない。

 

中でも、水上源蔵少将が、

「みんなの体は、それぞれがご両親のいつくしみをうけて育ちあがった貴重なもの、これを大切にとりあつかわぬ国は滅びます」

と言っていた、という記述を読んで、水上少将のような軍人が多ければ、日本も滅びずに済んだのかもしれないと思われた。

 

水上少将の死のくだりも、読みながら、なんとも言えぬ気持になった。

ミートキーナの死守(つまり玉砕)の作戦命令と、水上少将に対して二階級特進軍神にするという電文を受け取っていたにもかかわらず、 水上少将がそれらを無視し、他の人々が周囲にいない時に拳銃で自殺したことと、自殺する前に部下の将兵に南方への「転進」つまり撤退を命じる命令書を作成して遺書がわりに置いていたという、水上少将の行動は、自分の死と引き換えに部下の玉砕を防いで撤退を命じたという点で、司令官として当時の日本の軍人にしては珍しい立派な決断だったと思う。

「抗命」とそのことをこの本では表現していた。

上官の命令が絶対だった当時の時代において、ぎりぎりのところで命令に抵抗する「抗命」は、今の人間からは想像もつかないほど難しいことだったのだろうし、そしてまた、本当は、もっと多くの人が「抗命」をするべき時を弁えてその勇気を持っていれば、もっと多くの人命が助かっていたのかもしれないと思えた。

 

この本で、他に、あと二つ、とても印象的なエピソードがあった。

 

ひとつは、ある同じ部隊の人物が、軍隊内に慰安所をつくることになった時に断固反対し、現地の女性を無事にきちんと元の村まで送り届け、それから程なくてして戦場で戦死した、という話だった。

その人は、著者が書くとおり、「仏」になったと思えてならない。

 

また、ある人から著者が聞いた体験談だそうだが、その人が水上少将が死んだあとの困難を極めた撤退作戦の中で、マラリアにかかり友軍にはぐれ、しばらく眠ってしまったあと、意識が朦朧として間違って来た道を戻っていたら、どう見ても死んでいるはずの道のかたわらにあった死体の兵士が、はっきりと口を開いて、この方向は来た道で間違っている、逆方向に進め、と忠告してくれて、それで助かった、という話である。

 

他にも、撤退の大変さもずっと書いてあって、なんとも言えぬ気持になった。

 

戦争っていうのは、本当にろくでもないとんでもないものとしか言えないとしみじみ思う。

 

平和に、普通に生きて入れるのは、本当に稀有なありがたいことで、それだけで感謝と満足を感ずべきことなのだろう。

冒頭に、戦争の記憶を、ずっとうずく虫歯のようなもので、このうずきを忘れないことが平和なのではないかという意味のことが書いてあったが、直接の経験を持たない私たち以降の世代は、せめてもこうした本を読んで、当事者たちの心の痛みの万分の一でも追体験しようとすることが、少しでも謙虚になるために大事なことなのかもしれない。

 

この本は、先日GWに、星野村の源太窯に行った時に、源太さんからいただいた本だった。

ギャラリーに丸山豊の詩集や本が置いてあったので、私はぜんぜん恥ずかしながら丸山豊について知らなかったのだけれど、良い詩人かどうか尋ねると、源太さんの師匠だったそうで、いろいろ御話してくださった上、この本をくださった。

帰ってから検索してみると、もとの値段は千五百円だったのが、今は絶版で(もうすぐなくなる創言社から出版されていた)四千円以上の値がついていた。

これは読まなくてはと思い、合間合間にちょっとずつ読んで、今日やっと読み終わった。

本当に貴重な本を読むことができて感謝だった。

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本田哲郎神父の御話 メモ書き

本田哲郎神父の御話を聞く機会に恵まれた。
 
私はカトリックではないけれど、本田神父は私がこの世で最も尊敬する方で、二年ぶりにお会いして、その優しさにあらためてとても強い感銘を受けた。
 
本田神父は、聖書の新共同訳の訳者の一人だった方で、個人で新約聖書の翻訳もされた方であるのと同時に、長年ずっと釜ヶ崎でホームレスの支援に携わっておられて、以前Eテレのこころの時代でも特集があったので知っておられる方も多いと思う。
 
御話はいろんな事柄に渡ったけれど、印象深かったのは以下のことだった。
私の聴き間違いもあるかもしれないので、不正確なところはあるかもしれないが、自分用のメモ書きとして以下に若干記したい。
 
すべての人はすでに神のふところに迎え入れられて抱き取られおり、宗教や宗派は関係ない。
浄土真宗イスラム共産主義の人でも、神のいのちを本当に生きて、キリストの感性を生きている人もいる。
大切なのは宗教の形態ではなく、どれだけ真実に触れているかどうかである。
 
最も貧しく苦しい思いをしている人々の願いにこそ、真実があり、その人々の声に教えてもらい、その人々の下に立って教えを請おうとするところに、真実や解放に至る道がある。
 
御国(神の国・天国)は往くものではなく、来るものだと聖書に書いてある。
だというのに、死んでから往くものだと教会は教えがちだけれど、そうではない。
今、すでに来ているもので、神の「人を大切にする」心や解放や正義を、今ここで来らせていくことがイエスの願いだった。
 
イエスが説いた「新しい掟」は、「人を大切にする」ことである。
「人を大切にする」ことだけで良い。
古い掟にプラスして新しい掟があるのではなく、新しい掟ができていれば、すべて古い掟は本当の意味では満たされていく。
 
愛と訳すと、無理が生じ、不必要な苦しみが心に生じるが、アガペーやアガパーテというのは、「大切にする」という意味であり、愛するではない。
嫌いな人を無理に愛する必要はない。
しかし、嫌いな人であっても、人間として大切にする。
それはできるはずである。
 
福音とは、キリストが来てくださったということで、もうすでにすべての人は神のふところに抱かれて、神の子であり、神のいのちを生きているということである。
 
福音については、種をまくのではなく、刈り入れだと聖書には述べられている。
すでに誰もが神の子であり神のいのちを生きているのだから、別にクリスチャンにならなくても良いし、福音を教えてやろうなどとしなくて良い。
そうではなくて、自分自身が身をもって、解放や正義や人を大切にする心や、その人がその人自身としてのびのびと生きていくことができる、そういう福音を体現していくことが、本当の意味で福音を宣べ伝えていくということである。 等々。
 
他にもいろいろためになる御話を聞けたので、忘れずに覚えていきたいと思う。

泥憲和さんの訃報

昨日、泥憲和さんの訃報を知った。

5月3日朝のことだったそうである。

泥さんとは、FBとは別のSNSで七、八年前に知り合い、随分親しくさせていただいていた。
直接お会いしたのは、三回で、姫路で二回お会いし、福岡で一回お会いした。

本当に面白い、すばらしい方だった。

Fさんが「生きているうちから菩薩のような人でしたね」と訃報を聞いた後おっしゃっていたが、本当にそう思う。


政治に関する見識が卓越していることで今ではすっかり有名になって、御著書も多く出され、多くの講演もなされていた。

在野の運動家として今の日本を代表する人物であることは今さら言うまでもない。

しかし、泥さんの何より素晴らしかったことは、政治に限らず、歴史や宗教や人間についての幅広くかつ深い造詣とユーモアのセンスにあったと思う。

とかく政治に対して活発に発言する人間にありがちな、隣人に対する無関心や無神経や冷淡なところが全く存在せず、他ならぬ今目の前にいる人や人間全般に対して、深くあたたかな心を一貫して自然体で持ち続けていたところは、泥さんという人のかけがえのない良さであり他の及ばぬ長所だったと思う。

その背景には、苦労人で実社会で長年いろんな人生経験を積まれてきたことと、浄土真宗の篤信の播州門徒として深い仏教浄土真宗への造詣や信心があったからだと思う。

泥さんとめぐりあい、友人として過ごせたことは、私の人生にとって最大の誇りだった。
間違いなく浄土に往生し、還相の菩薩となってこれからは御活躍されることと思う。

もっと語り合いたかったが、死は必ずしもすべての終わりではなく、またいろんな形で語り合っていけるのだと信じる。

いただいた御本、しっかり読んでいこう。


「露の身は ここかしこにて 消えぬとも 心は同じ 花のうてなぞ」

南無阿弥陀仏

ETV・こころの時代 アレクシエービッチの特集「小さき人々の声を求めて」

先日、ETVのこころの時代であっていて録画していた、ロシアの作家のアレクシエービッチの特集の「小さき人々の声を求めて」という番組を見た。

http://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2017-04-09/31/14236/2008273/

 

アレクシエービッチは、2015年にノーベル文学賞を受賞した作家だそうだけれど、私は恥ずかしながら昨日犬養先生にその番組を勧められるまで名前もよく知らなかった。

 

番組では、アレクシエービッチと作家の徐京植が対談していた。

 

アレクシエービッチの言葉は、どれも非常に印象的な、深い言葉の数々だった。

 

大きな物語が見過ごしてしまう、小さき人々の声に耳を傾けることの大切さ。

そこから、自分自身と関係のあること、そして抵抗につながる何かが見つかること。

 

チェルノブイリと福島を見て、全体主義国家であれ資本主義国家であれ、どこでも国家は似たようなものだと思った、ということ。

国家は人の命をほとんど守ってくれず、最低限のことしかしてくれない。

国家も役人も自分たちを守るので精一杯で、国民を救うという気持ちはほとんどないこと。

 

そして、日本には「抵抗の文化」があまりにもない、という指摘。

 

福島の、原発事故後に自殺した酪農家の方の納屋の壁に記されていたという「原発さえなければ」という文字。

 

などなど、とても心に響く内容だった。

 

また、大学生が「どうすれば絶望から逃れることができるか?」という質問をしたのに対し、

 

「人が生きていく中では、たとえ大禍なく過ごしたとしても、「人間であり続けること」は難しいものである。

しかし、苦しみの経験は、人を強くしてくれると思う。

若いあなたに言えることは、丹念で孤独な「人間であり続ける」という作業は、自分しかできないということ。

大切なのでは、この世界で、「人間であり続けること」です。」

 

という意味の答えをしていて、深い言葉だなぁと思った。

 

また、番組の最後に、「もし最後の審判があるならば、小さき人々こそが神の御前に証人として立つと思う。」「小さき人々をこそ私は信じる。」ということを述べていたのにも胸を打たれた。

 

邦訳も何冊か出ているそうなので、いつか読んでみたいと思う。

それにしても、アレクシエービッチが「日本には抵抗の文化があまりにも乏しい」と指摘していたのは、耳に痛いことだった。

本当はかつて、それこそ、上野英信たちがやっていたことは、アレクシエービッチと同じ問題関心で、小さき人々の声に耳を傾けて、抵抗の文化を築いていくことだったのだろうけれど、はたしてそれが今日どれだけ受け継がれ豊かに強くされているかどうかは、たしかに厳しく問い直される時代なのだろうと思う。

犬養先生から聞いたこと

今日は、犬養光博牧師が福岡に来てくださり、上野英信についての御話をしてくださった。
 
犬養先生は、筑豊でおよそ半世紀の間、キリスト教の伝道や子どもの教育などをされ、以前Eテレの「こころの時代」にも特集されたことがある。
(その時の番組は、以下で視聴できる。
NHK Eテレ・こころの時代「筑豊に“隣人”ありて」犬養光博 (2014年5月4日放送)
 
上野英信は、筑豊の炭坑などについての貴重な記録を書いた、一般的には記録作家と分類される人物だけれど、犬養先生にとっては人生の師だったそうだ。
(犬養先生は、自分には四人の人生の師がいたと思っており、上野英信はその一人だとおっしゃっていた。(他には高橋三郎先生などの名前を挙げておられた。))
 
犬養先生は、1961年に、当時大学生だったそうだけれど、上野英信の『追われゆく坑夫』を読んで衝撃を受け、筑豊にやって来たそうである。
 
上野英信がどのような人だったかというと、上野英信の没後すぐに、森崎和江が追悼番組で、
「上野さんは、亡くなった人に対しても、生きている人に対しても、炭坑にいる人々の魂を大切にして、魂に問いかけ耳を傾け魂と語りあっていた、だからか、上野さんが死んだときに、それらの魂の皆が喜んで迎えに来ている、そういう風に感じた」
という意味のことを話した、まさにそのように、「魂に語りかけ、魂を大切にした」人だったそうだ。
犬養先生にとって、上野英信はクリスチャンではなかったけれども、ひとりひとりと共に歩んだという生き方において、まさにイエスのように歩いた人だったと自分には思えてならない、そういう人だったとおっしゃっていた。
 
上野英信の本の中に、鹿児島の俚諺として、
「歌は唖にききやい/道ゃめくらにききやい/理屈ゃつんぼにききやい/丈夫なやちゃいいごっばっかっい」
という言葉が記されていることを紹介されていた。
こういう、理屈ではない、本当に深い言葉というものに耳を傾けることというのは、すごいことだと思う。
 
また、上野英信の遺言の、
筑豊よ/日本を根底から/変革するエネルギーの/ルツボであれ/火床であれ」
という言葉について解説してくださった。
この言葉に対し、他のある人がロマンチストだと述べたことあったそうだけれど、決してロマンチストだとかそういうことではなく、火床というのは山の下に眠っているマグマのことで、そこまで掘っていけばすごいエネルギーが出てくるということで、
そして、ルツボというのはいろんな鉱物以外のものも入っている混沌の中から本当に宝となる鉱物を取り出すということであり、
今日、不都合な話として筑豊の暗い歴史がともすれば覆い隠され無視されているのは、実はそこに本当は火床があるからではないか、という御話をしてくださった。
考えさせられた。
 
また、何よりも、今日の御話の中でとても印象的だったのは、上野英信が明治の女坑夫の言葉として記録している、
「あたしゃ、ほかになーんも望みはなかが、でくることなら、ぜひ、馬車馬に産まれてきたかよ…」
という言葉だった。
犬養先生が解説するには、馬車馬というのは、炭坑の地下の中で荷物を運ぶ馬で、最も重い荷物を運び、地上に二度と出ることがなく死んでいくことも多い馬だそうである。
そのような馬車馬に、生まれ変わるなら生まれ変わりたいと、その女性の坑夫は言ったわけである。
それはどういうことかというと、他の誰かが重い荷物を背負うならば、自分がその荷を背負いたい、他の人には担わせず、自分が一番重い荷物を負いたい、ということだそうである。
ちょっとこれは衝撃というか、最も苦しんだ人だから持つことができる、本当の優しさというか、祈りというか、ちょっと言葉を越えたすごいものを感じざるを得なかった。
 
その他、いろいろ貴重な御話を聞くことができて感謝だった。
昼食の懇親会では、犬養先生の上野英信との個人的な思い出についてもいろいろお聞きできた。
犬養先生は、筑豊に来てから上野英信のことをはじめは怖い先生だと思ったけれど、自分の長男が生れてきた時にお祝いに来てくれたそうである。
その時に、「犬養君、やっと君はここに来てはじめて生産的なことをしたね」と言われたそうで、ずいぶんがんばっているつもりが、なかなか厳しいことを言われるなぁと思ったそうだ。
けれども、そういった感じでだんだん近しくなり、お酒が自分も上野先生も好きだったので、そこで本当に打ち解けて行った、ということを懐かしそうに御話されていた。
 
犬養先生がオススメの、『上野英信集 (戦後文学エッセイ選)』(影書房)も早速帰ってから注文してみた。
上野英信の本や林えいだいの本など、意識的に読まないと、今日忘れられてしまいつつある貴重な歴史を本当に私たちの世代は知らずに済ませてしまうわけで、なるべくきちんと読んで、知っている限りは、後の時代の人に語り伝えることができるようになりたいと思う。
今年は上野英信の没後三十年で、福岡でも展示が企画されているようである。
 
犬養先生には、二年ぶりにお会いしたのだけれど、お元気そうで本当に良かった。
またお会いするまで、今日教えていただいたことを忘れず、なるべくいろいろまた本を読んでおきたいものだと思う。

浄土真宗とキリスト教の違いについて

浄土真宗キリスト教の違いについて、Dさんの浄土真宗論に刺激されて、若干考えてみた。

 

しばしば、浄土真宗キリスト教はよく似ていると言われる。

何が似ているかというと、本人の行為や功績によって救われるのではなく、絶対者(浄土真宗では阿弥陀如来キリスト教ではキリスト)の側の働きへの信仰(信受)によって救われるということである。

 

たしかにその点はよく似ている。

その他のあらゆる宗教が、呪術的なものにしろ、律法的なものにしろ、あるいはなんらかの座禅などの行によるものにしろ、行為者の側の行為による救済を説くのに対し、浄土真宗キリスト教は行為者の側の行為は問題とせず、ただ信仰のみによる救いを説く点では他の宗教と異なるものである(なお正確に言うと、浄土真宗では「信心」と言っても「信仰」とは言わない。自力の信心と他力の信心の区別に基づく重要な論点であるが、ここでは割愛する。)

 

だが、しかし、上記の共通点を認めた上で、キリスト教浄土真宗には相違点が以下の三点がある。

 

1、キリスト教天地創造の神を認めるが、浄土真宗には天地創造の神は存在しない。

 

2、キリスト教の場合、イエス・キリストという具体的な歴史的人物による十字架の贖いという行為に救いの根拠が置かれているが、浄土真宗における法蔵菩薩阿弥陀如来は具体的な歴史的人格ではなく、超時間的な理念的存在であり、また救いの根拠は贖いではなく回向による。

 

3、キリスト教には黙示録における世の終末と新天新地の希望が記されているが、浄土真宗には特に終末論やその後の世界についての展望はない。つまり、キリスト教における「神の国」は終末において現実化するものであるのに対し、浄土真宗の浄土はあくまで他界であり終末が存在しないので終末において現実化するということはない。

 

この三つが異なっていると思われる。

 

もちろん、これらのどちらが正しいかというのは、これは客観的には論証使用がないことである。

というのは、天地創造も世の終末も、ごく限られた時間を生きる人間には、体験のしようも観察のしようもないからである。

また、歴史的人物であるイエスと、理念的存在である阿弥陀如来と、どちらが救いとなるかどうかも、これはそれぞれの信仰を持つ人にとって答えが変わってくることであろう。

人によっては、歴史的存在だからこそイエスを具体的に感じるというかもしれないし、人によっては具体的な歴史的存在ではないからこそ阿弥陀如来に自分の時代や場所から接することができやすいと感じるかもしれない。

 

なので、大事なことは救いを本人が得ることであろうし、相違点よりも共通点を見いだすこと、そして相違点を相違点のままとして尊重することであれば、ことさらに優劣を論じることは愚かなことであり、自勝勝他のあさましき振る舞いとなると言えるかもしれない。

 

しかし、あえて上記のことに留意した上で、一種の思考実験として、上記の三つの相違点において、私が思うところを書くならば、以下のとおりである。

 

まず、1の点について。

仮に、創造があったとすれば、この世のすべての人間や動植物の存在は、根底において神の愛や承認のもとにあり、すべてに意味があるということになる。

人間の浅知恵ではわからないとしても、人間の思いはからいを越えた、神の愛や配慮がすべての存在には刻印されていることになる。

ここに、人間や動植物の尊厳の究極的な根拠が見出し得るのではないだろうか。

仮に創造がないとすると、すべての存在は偶然的なものとなり、どこに尊厳の根拠があるのかはわからなくなる。

もっとも、将来的に仏になりうる存在として、尊厳があるということは、浄土真宗の論理からも言えるが、それは将来の可能性としての尊厳ということになり、今現在はたして尊厳があると言えるのかどうかは疑問である。

 

次に、2の点について。

これは、信仰者の側の問題なので、歴史的と理念的とどちらが良いかは、一概には言えないかもしれないが、イエスの場合は福音書に資料がほぼ限られているとしても、それなりにその言行について知りうるということはあるかと思う。

一方、法蔵菩薩は、少しその修行について書かれているとしても、極めて抽象的で、あまり具体的にその生涯や言葉を知ることはできない。

また、信仰者を救うための働きにおいて、キリストにおいては十字架の贖いという、具体的な贖いの行為が存在しているのに対し、法蔵菩薩(=阿弥陀如来)においては讃仏偈において代受苦を思わせる内容も若干存在してはいるものの、さほど贖いということは強く前面に出ることはなく、あくまで回向という行為によってである。

ゆえに、法蔵菩薩の生涯や受難を追体験することは極めて難しく、また回向を購いに比べて切実に感じ取ることはかえって茫漠としていて難しいのではないかと私には思われる(もっともこれは人によっては違うかもしれない)。

 

最後に、三つ目の点だが、浄土真宗の場合は浄土はあくまで他界であり現実とはどこまでも平行線の超越した世界であるのに対して、キリスト教の場合は歴史の軸の最後の時点で「神の国」が現実化し、また今生においても部分的に「神の国」が現実化しているという点は極めて大きな相違点と思う。

もっとも、キリスト教においても、「神の国」のほとんどは基本的には他界であり超越的な性格を持っており、しかもその到来はまったく神の側の働きによるもので、人の行為が神の国の到来をもたらすことはできない。

なので、安易な現世と他界の混同や、救済が現世で行われるとする説(典型的なのは天台本覚思想や娑婆即浄土・煩悩即菩提といった言説)とは二つとも全く異なるということは注意する必要がある。

なので、共通点の方が実は多いのかもしれないけれど、ずっと断絶している浄土真宗と異なり、理想的な世界と現実の世界が歴史の終末において交わるというキリスト教の終末観は、やはり異なると思われる。

 

私自身のことを言えば、創造を思う時、神の愛に触れることができる気がするし、キリストの受難と贖いをもってはじめて罪人の私も救われたと思うし、終末のキリストの再臨を思えばこそ、この歴史が無意味な反復ではなく何がしかの完成に向かい神の経綸に貫かれた意味のあるものだと思うことができる。

 

もっとも、これは人によって、全く違う反論も成り立つかもしれない。

 

ただ、私としては、上記の三つの相違点に関して、上記のように今のところ思っている。

 

が、仮に浄土真宗の側に立つとすれば、以下の三つの議論も成り立つことだろう。

 

1の点について。

今日の科学からすれば、天地創造など到底信じることはできない。

また、自然界は残酷なものであり、どうしてこんな残酷な自然界や残酷な生物を神が創造したのか理解できない。

あるがままにこの世界を観察するために、特に創造の神を想定する必要はない。

 

2の点について。

どうして歴史上の一人物であるイエスが十字架上で処刑されたからといって、それが後の時代の人間を救うと言えるのか。

また、法蔵菩薩の修行についてはたしかに抽象的としても、具体的な菩薩の行為やことばや生涯については、ジャータカや一切経に現れる釈迦牟尼仏の言行を見れば良い。

回向を共感によって受けとめる原理は合理的であり、受けとめる心があれば回向は受けとめることができるものである。

 

3の点について。

浄土は他界だとしても、浄土によって救われた人の働きはおのずとこの世にも現れるものであり、染香人・妙好人と呼ばれる念仏者がこの世を良くする働き自体を浄土真宗は否定するものではなく、むしろ浄土真宗の歴史はそのような多くの事例を持っている。

終末を想定する必要はなく、むしろ自分の人生の死をこそ見つめるべきであり、身のたけを越えた創造や終末を論じるより、この人生の始まりと終わりをこそよく見つめるべきである。

 

以上のような議論も、浄土真宗の側から成り立つと思う。

 

結局のところ、ここから先は、個々人の自分の人生における実感や実験に基づくしかないのかもしれない。

 

ただ、ひとつ言えることは、私は浄土真宗の人にも、キリスト教の人にも、どちらも多くの素晴らしい人を見て来た。

そこには、何がしかの真理の働きがあったと思われる。

 

そのうえで、言えることは、浄土真宗の場合、比較的、日本の風土や伝統に即しやすいとは言えるのかもしれない。

逆に言えば、キリスト教の場合、おのずと世界史的な広がりや視野を持ちやすいのかもしれない。

しかし、たぶん本当は、どちらも大事なことなのかもしれない。

 

ここから先は、私個人のことに過ぎないが、親鸞聖人や法然上人は実に偉大な人物であり人格だったと思うが、あくまで人だったのに対し、イエスは神の子だったとしか思えないというところが違いだろうか。

だが、もし親鸞法然がイエスに出会うことができたら、即座に東方の三博士のように頭を垂れたと思うし、イエスは百人隊長に対して言ったように「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」と述べたような気がする。

思うに、キリストを知らずしてキリストのおぼろな光を感じ取ったのが浄土真宗であり、阿弥陀如来と言われるものの実体がキリストだったのではないかと私には思えてならない。